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宇多丸さんトークショー『アメリカン・スリープオーバー』(OPEN THEATER vol.3)

『アメリカン・スリープオーバー』上映会レポート

2014年3月、Gucchi’sFreeSchoolは東京藝術大学映画専攻と共催で、日本未公開青春映画『アメリカン・スリープオーバー』の上映会を開催しました。3日間の上映では連日定員を超える大勢の方々にお越しいただき、素晴らしい未公開作品を皆様にお届けすることができました。
このページでは、当上映会で各日映画上映後に行われた豪華ゲストによるトークショーを、全3回に分けてお送りします。

最終回のゲストは、ラッパーでラジオパーソナリティーのRHYMESTER宇多丸さんをお招きしてのトークショーです。
日頃ラジオなどでも映画について語られている宇多丸さん。今回は『アメリカン・スリープオーバー』と共に宇多丸さんもお好きだという『バッド・チューニング』を見比べていただきました。

タイプの違う二つの青春映画を宇多丸さんはどうご覧になったのでしょうか。
宇多丸さんご自身の青春時代のお話にも注目です!
 
 
司会はGucchi’s Free Schoolの樋口幸之助と降矢聡(以下、樋口、降矢と表記)です。

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樋口
それではトークショーを始めさせて頂きたいと思います。

宇多丸
すみませんね、連日のゲストと比べて、素人が何しに来ているんだという感じですけど。

樋口
何をおっしゃっいますか(笑)。

宇多丸
でも『アメリカン・スリープオーバー』見たくってですね、お受けしたんですよ。見たこと無くて。面白そうだなって思って。という単純な理由で仕事を受けてしまいました、すみません。でも本当に良い映画でした。

樋口
皆さんご存知だと思いますけど、宇多丸さんはラジオなどで映画の話をよくされていて、普段は公開作品についてお話をされているなか今日は未公開の作品、ここでしか見ることの出来ない作品ということで、ちょっと感じも違うかなと思うのですが。今日は2本やりまして、1本目はリチャード・リンクレイターの『バッド・チューニング』、これ自体も未公開なんですよね。

宇多丸
そうですね、そうなんですよね。

樋口
今だとTUTAYAなどで借りられるんですが。

宇多丸
今日VHS持って来たんですけど、今出てるDVD版、あれ直ったのかな?字幕の出方がすごく悪くて。で、好きな人はみんなVHSで見ている、という作品ですね。
いやでも良い2本立てじゃないですか。構造として、ジャンルとして同じ、一日の話ということですからね。

【若者の可能性】

樋口
今おっしゃられたように、青春もので、物語が一日の始まりから翌日の明け方までの話で、さらに登場人物がたくさん出てくる、という共通点があります。宇多丸さんご自身は青春映画というものが好きか、ということを含めて何か青春映画に関して思い入れなどありましたらお願いします。

宇多丸
青春映画というジャンル自体がアメリカ映画であるのかどうか分からないのですが、強いて言うならティーンエイジャーものというのかな? 青春映画というとすごい定義が曖昧じゃないですか。青春ってなんだ? みたいなことになって。ただそれで言わんとしている部分っていうのは確かにあって、今日上映した2本もそうですけども、要するに「一番可能性が開かれている瞬間の終わり際を描く」みたいな話ですよね。可能性が開かれている瞬間というものが青春だとしたら、その最後の1日だったり瞬間というものを描く、ということだと思います。
だからティーンエイジャーじゃなくとも、日本映画で言うなら、日本映画だとあんまりこういう青春群像ものってないと思うんですけど、『桐島、部活やめるってよ』とかは確かに青春時代を描いてはいるけど、『アメリカン・スリープオーバー』が描こうとしているテーマとはだいぶ違うじゃないですか。『桐島、部活やめるってよ』の方が全然年齢上になりますよね。
例えば『横道世之介』とか『の・ようなもの』なんかは、年齢は上になりますけど、可能性を持った若者の話と捉えるとあれは青春映画だなとか思います。だから人生で無限に広がった可能性を持った人がどうするか?それがものすごく大きな定義で言えば青春映画というものじゃないでしょうか。
今日上映した2本、『バッド・チューニング』だとみんなは未来が無限に広がっているかのように思っているけど、この1日を境に確実にひとつの方向に定めて進み出した、みたいな話だし、『アメリカン・スリープオーバー』だと、人によるんだけど、例えばあの双子に恋するお兄ちゃん(スコット)だともう一回自分に無限の可能性が広がっているという幻想を持っている、俺まだ青春出来るかも、と思っている人が、(その可能性を)閉じるという話だったり、みたいな定義の仕方が出来ると思います。(そういう定義を持った青春映画というものは)もちろん大好物でございます。

降矢
今日見て頂いた『バッド・チューニング』と『アメリカン・スリープオーバー』で描かれていることは似ている、同じ、という部分は確かにあると思うのですが、『バッド・チューニング』の方はあるものから逃げる、高3生から高1の子が逃げる、警察から逃げる、みたいな形で、ある状況や確実に待っている未来からどうにか逃げようというという動きが青春を捉えているように見えたんですね。一方『アメリカン・スリープオーバー』の方は逃げるというよりも探しに行く、可能性を探しに行くという動きが強いように思えて、2本の映画によって、2つの青春の描き方が見えたかな、というふうに思っています。
宇多丸さんは、宇多丸さんの青春と聞いて良いのか分からないですけど(笑)、逃げるというか反発というか、逃れよう逃れようという運動と、何かを探し求めよう、行こう、という運動と、どっちが好きかとかありますでしょうか? どっちが好きというのもおかしな聞き方なのですが。

宇多丸
好きかどうかということでないにせよ、どっちにしても自分と重ね合わせて見てしまうところが青春映画にはありますね。もうちょっと僕はバカっぽい見方してて、ケツ叩きみたいな目にあったことあるかな、とか見てて思って(笑)。こういう通過儀礼チックみたいなものって日本で何かな、とか考えて見ちゃってましたね。あ、でもケツ叩き、『バッド・チューニング』でミッチ君がケツを叩かれる時、あれって本当にケツを犯されているかのように見えるじゃないですか。それで思い出したのが、中学サッカー部で、僕は免れたんですけど、合宿中で筋肉痛を和らげる薬を、可愛い男の子を押さえつけてお尻の穴に塗るというのがありました。すごい痛い訳ですよ。その子が悶え苦しむ姿を見て先輩とかはちょっとエロい気持ちになって、「おお、たまんねぇ。」みたいな風に言って押し入れの中でシコり出したりするんですよ。っていう地獄(笑)。

樋口
『バッド・チューニング』よりひどいじゃないですか(笑)

宇多丸
僕は美少年じゃないから免れただけなんですよ。僕はもうこういうふうに布団被って「ソドムの市だ、ソドムの市だ、最悪だ」って言って、「とんでもないところに来ちゃった」って言って、そういう洗礼系はありました。あと大学とかでもあったりしますよね。だからそんな時代は早くこんなところからは抜け出して大人になりたいっていう感覚で、どっちかっていうと『アメリカン・スリープオーバー』は、例えばマギーちゃんがあのチリチリ頭の男の子(スティーブン)、高3だとか言っているけど「お前は高3か!?」っていうのがありますけど、アメリカ人流石だなと思うのは、「自分自身はもう最高の時期が過ぎているからわかるんだけど」みたいなこと言うじゃないですか。どっちかっていうとあの(スティーブンの)視点で『アメリカン・スリープオーバー』は作られている気がしましたね。子供の視点というよりは大人の視点、全体がちょっと抽象的に作られているような気がしました。

樋口
『アメリカン・スリープオーバー』の原題の『The Myth of the American Sleepover』、『アメリカン・スリープオーバーの神話』ということからも、ちょっと上からの視点というのはあると思います。

宇多丸
それもそうだし、リアリズムの観点からも、例えば『バッド・チューニング』は1976年の風俗っていうのが具体的に描かれていますけど、『アメリカン・スリープオーバー』はいつの時代の何なのかというのもはっきりわからないじゃないですか。画作りなんかも明らかに意図的に青とピンクと暗闇だけ、で最後にボンっと赤出してくる。そういう観点からも『アメリカン・スリープオーバー』はリアリズムとはちょっと違う、僕はもうすっかり大人になっちゃったから分かるなこの感じ、と思いながらも見てましたけど。
でもどっちも良い映画ですよね。ただ『アメリカン・スリープオーバー』の方が初めて見たから、というのもあって関心度が高くて、ああこんなに良い映画が埋もれている、と。アメリカでは公開しているけど大ヒットするような映画じゃなかったってことですか?

降矢
『アメリカン・スリープオーバー』はサウス・バイ・サウスウエストという、音楽と映画の祭典がありまして、その2010年度の審査員特別賞を受賞して、さらにその年のカンヌ国際映画祭でも上映されて、話題にはなっていたとは思うんですが……。

宇多丸
じゃあ、向こうでもヒットして早くもクラシック化、みたいなそこまでは話題になっている感じでもないんだ。でもすごいですよね。

【キャストについて】

宇多丸
なんかものすごくバカっぽい感想から言っても良い? 『アメリカン・スリープオーバー』に出ている人ってほとんどが演技経験の無い人たちって聞いて……信じがたい(笑)! あの双子とかも?

樋口
あの双子だけは他の作品にも双子役で出たりとかはしていたみたいで。

宇多丸
ああ、ですよね。俺、素人があの芝居絶対にあり得ないと思って(笑)。ほっとしました。どんだけ演出が天才的なんだって。でも僕あの双子のくだりとかは、一度サンプルを頂いて、今日2度目で見ると、あのやり取りのちょっと手前の部分から、「お前気付けよ!」と(笑)。「こっちだろ!」と(笑)。これすごいもどかしく見ましたね。でもあいつ最初から、あれはどっちなんですかね、妹なんですかね?

樋口
妹がスコットを好き。

宇多丸
ああじゃあお姉さんの方か、お姉さんの方が最初からもうね、見る回数が違う。

樋口・降矢
ああー(笑)

宇多丸
「バカが!」と(笑)。もー変な髪形してーみたいな(笑)。そんなことを思いながら見てました。だから2度見たら、良く出来てるな、目線の使い方が、とか色彩の使い方とか、色んなことを事前に暗示しているんだな、と分かりました。あとものすごいどうでもよいこと言っても良いですか?クラウディアさんいるじゃないですか、あの小悪魔的な子。一応最初に付き合っている彼氏いるじゃないですか、あいつの車を運転している時のシブがり顔がたまんないよね(笑)。「なにお前シブがってんの?」みたいな(笑)。ほんとすみません、こんなしょうもないことを。
ただああいう細かい表情とかも、良いなーって。「良い男気取りか、お前」っていう。「俺あいつともヤッてるし、ちょっと悪い男だぜ、まいったな」みたいな感じなんでしょうね。童顔のヒュー・グラントみたいな顔して。たぶんキャスティングがいちいち的確、っていうことなんでしょうけど。

樋口
そうですね、素人だらけっていう。逆に言うと『バッド・チューニング』の方は今見ると有名どころが多いですが。

宇多丸
(『バッド・チューニング』は)今見ると有名な人がたくさん出て来ちゃうから当時の感じがあんまりピンと来ないですが、例えばマシュー・マコノヒーとかこれでデビューですもんね。何の経験もなかったんでしたっけ、この人。

降矢
演技の経験っていうのはちょっと分かりませんが……

宇多丸
でも今でこそマコノヒーって時の人って感じですが、一回りしてこの役柄に戻って来たけど、(『バッド・チューニング』で)ブレイクしてから、潔癖好青年みたいな役ばかりやってて、『コンタクト』とか『アミスタッド』とか。でも、本人のキャラがもともとそういう感じじゃなかったってことなのか、最近だと『リンカーン弁護士』とか、皆さんご覧になってますかね? フリードキンの素晴らしい傑作『キラー・ジョー』とかの、ちょっとゲス風味が出るとマコノヒーは良いな、ってとこに落ち着いてきてますよね。何の話でしたっけ(笑)。ああだから改めて見ると、出だしがこれって、今とあんまり変わんないですよね。髭とか生やしちゃって。地元でくすぶっている先輩みたいな。昨日(3/22)『ニュータウンの青春』やったんでしょ?あれとも「ダメ先輩シリーズ」みたいなので繋がってますよね。まあでも最高なのはベン・アフレックですよね(笑)。

一同
(笑)

宇多丸
ベン・アフレックはこれ以上のはまり役はあるんでしょうかっていう。

樋口
ケツ叩きに命をかけているという(笑)。

宇多丸
最高じゃないですか(笑)。そのために留年したんじゃないかという。で、『バッド・チューニング』の方はリアルタイムで見るという感覚にはもうなれないじゃないですか。よく言うんですけど『12人の優しい日本人』ってあるじゃないですか、三谷幸喜の。あれで豊川悦司さんがものすごいおいしいというか重要な役なんだけど、当時は豊川さんは全く無名だったんですよ。だから途中までそんな重要な役だとは思わないで見ていたら……、というおいしさがあるんだけど、今見たら最初から「はい、曲者じゃ!」という感じじゃないですか。他だと『ユージュアル・サスペクツ』とかもさ、今見たら「はい、ケヴィン・スペイシー!はい、コイツ怪しい!」ってなっちゃうっていうさ、感覚がある。

樋口
新鮮な、という感覚はもう難しいかもしれないですよね。

宇多丸
『セブン』とかもケヴィン・スペイシーで、当時は「ジョン・ドゥ」感、つまり匿名感がたしかにあったんだけど、今の感覚だと「はい、スター登場~!」みたいに見えちゃうから……、映画はリアルタイムで見た方が良いですね。
すみません、質の低い話ばかりで(笑)

樋口
いえいえ、全然(笑)。
他になにか作品のディテールで気になったところとかありますか?

宇多丸
でも『バッド・チューニング』って改めて見ると変な映画ですね。群像的な作りで言うと、例えば『アメリカン・グラフィティ』を筆頭に、皆さんご覧になって分かると思うけど『アメリカン・スリープオーバー』って『アメリカン・グラフィティ』を連想させる部分が多いじゃないですか。あのロブ君が見初めた人を追いかけて、で若干正体はいかがわしいところもあるんだけど、というところとか。あらゆるところであれものすごい『アメリカン・グラフィティ』っぽいところがあるじゃないですか。だけど『バッド・チューニング』って何回見ても、一応あのフットボールの彼とこれから1年生になるミッチ君の二人がメインだけど、あの二人は一応明快なストーリーラインがあるけど、他の人はないというか、なんて言うのかな、ちょっと変わった語り口じゃないですか。

降矢
そうですね。明快な目標点が無い。

宇多丸
そうそう。ずっと行き当たりばったりの話だし。で群像の具合も激しいから変わった作りだなとは思いました。だから何度見ても新鮮に感じるのは一本筋のストーリーラインとして認識出来ないからかな、とは思いました。見る度にこういう話だったかな、という。毎回、夏休みの最初の話だっていうのは覚えてるけど……くらいになっちゃってる。それに対して『アメリカン・スリープオーバー』は割とオーソドックスな話の作り方な気がしている。
『アメリカン・スリープオーバー』を改めて見て面白いと思ったのは色彩設計の話で言うと、ちょっとノワール・タッチというか、画作りがそうなんですかね、最後の廃墟のところとかマギーのミュージカル・シーンとかなんかデヴィッド・リンチの映画見ているみたいだな、って。双子が出てくるところとかなんでも良いんだけど、なんか青春映画×フィルムノワール、みたいな不気味な感じがする。その感じが「神話」でもあり「夢を見ている感じ」とか監督がインタビューでおっしゃっているところかもしれないけど。その感じがこういう青春映画のなかではフレッシュに感じたところで面白かったです。
でもリチャード・リンクレイターもなんだか良く分からない人じゃないですか。

降矢
はい、作品毎に違うと言いますか。

宇多丸
そうそう、作品毎に違う。こじつければこじつけることも出来ると思うんだけど、どうしても説明がはみでてきちゃうことがある。『バッド・チューニング』と『ビフォア〜』シリーズだけ取ってきてくれればまだ分かりやすいんだけど、でもそれらと『バーニー みんなが愛した殺人者』とか『ファーストフード・ネイション』とかは違うじゃないですか。まあでも敢えて言うならアメリカのドメスティックな文化と、あとさっきちょっと言った青春映画的な要素ですけど「人生の可能性と限界」みたいな、そんな話をいつもしているなとは思います。いつもpossibilityがどうのこうのという話はしていると思います。『僕と彼女とオーソン・ウェルズ』って劇場公開してないんだっけ?

降矢
そうですね、WOWOWで放送はされましたけど。

宇多丸
あとDVDにはなってますけど。ザック・エフロンが出てて、彼がオーソン・ウェルズの劇団に入ってという、過去を舞台にした青春映画ですけど、それなんかもpossibilityの話で、『バッド・チューニング』にも出てきますよね、possibilityという話。

樋口
車の中でも話してますね。

宇多丸
毎回そういう記号は入れてくる、というのはあるにしても何か変な人ではありますよね。『ベアーズ』のリメイクなんかもやってますからね。あ、でも『ベアーズ』のリメイクは、(リンクレイターは)リメイクなんか絶対にやるか!って思ってたんだけど、野球映画が一回やってみたかったらしくて、まあ『バッド・チューニング』 にも出てきますけど、そこで『ベアーズ』の話が来たから、「まあ、ありか。」と思ってやったっていう話ですよ。まああとは『スクール・オブ・ロック』、僕あまりあれ皆さんが熱狂するほどには好きじゃないんですけど。

降矢
本当ですか?

宇多丸
おっさんが子供に、ロックの、しかも古いロックのなんたるかを頭ごなしに教えるってどうよ?って感じがどうしてもしちゃって。あと俺ジャック・ブラックっていうのが、それは本当に役柄にハマっているってことなのかもしれないけど、普通にイライラするんですよ(笑)。「もうーっ」みたいな感じで。あとなんでしたっけ、『僕らのミライへ逆回転』でしたっけ? あれジャック・ブラックですよね。あれあいつが磁気でビデオ壊しちゃうことから話が起こる訳じゃないですか、これ普通にこいつ殺して終わりで良いんじゃないの? みたいに思う(笑)。まあそれだけ役にハマっているってことなんでしょうけど。ジャック・ブラックは劇薬というのはいつも言っていることです。顔がベロベロバーの人なんで。

樋口
顔がベロベロバー……(笑)?

宇多丸
顔がベロベロバーというのは、いわゆる顔をおどけさせて笑わせるということを言っているんですけど。まあコメディでは時々どうしてもそういう要素、ベロベロバーは出てくるんですけど。すみません、話がずれてしまいましたね。

【青春映画の路線】

宇多丸
ただどうなんですかね? 日本人からするとアメリカ学園ものみたいなのって僕らが一番好きなジャンルのひとつであって、特にジョン・ヒューズの映画とか通してスクール・カーストがどうのって分かったように言っているけど、例えばお泊まり会の習慣とかって同時に開かれたりすることは……。

降矢
それはまずないと思いますね。

宇多丸
ああ、無いんだ。だけど映画で見ると「おお、こういうのがあるんだ。」みたいな。あとさっき言ったけどあの廃墟、あれハッテン場ですよね、早い話が。ああいうのってあるんですか?廃墟に行ってハッテン場化しているって。カップルでいちゃつくなら分かるにせよ、フリーで行って相手見つけて、ってあれいわゆるハッテン場でしょ。「あら、アタシとしちゃう?」みたいな感じで。あ、あと彼(マーカス)が(金髪の女の子に誘われて)断るっていうのは、彼がホモっ気という理解で良い?

降矢
我々もそういう理解です。

樋口
はっきりとそうとは言われてないんですが。

宇多丸
ですよね(笑)。あれとか自分の青春と比べて、「ああ同じだ」と思うところもあれば「ああ随分違うな。」というところもありますよね。アメリカの子供の遊び、まあ酒やドラッグは置いておいて、あの金の使わない遊びっぷりっとかは……、だいたい湖行ったりとかして。

樋口
15日に山崎まどかさんにお越し頂いた時に、やっぱりその話になったんですね。ああいう場所はあるのかとか、湖に行ったりスリープオーバーでほっこりしたりみたいなことは本当にやっているのかというと、本当にやっているらしいです。なぜかと言うと、あそこの近くにはラウンドワンが無いからだど。

宇多丸
若者向けの遊びの施設が無いからということですか。

樋口
モールとかも無いから、他に遊びに行くところが無いから、自然とああいうことになって、ハッテン場になるという(笑)

宇多丸
ハッテン場は本当ですか(笑)? ホントにそれ確かめた(笑)?

樋口
ハッテン場はちょっとよくわかんないですけど(笑)。

宇多丸
あの廃墟の場面だけはさっき言ったようにノワール度が高いから、ホントかよと思いました。悪夢的な役割もあるし。
ああ、そうなんですか、なんか分かる気もします。そういう面では若者っぽい遊びもありつつ、あのー、この(『アメリカン・スリープオーバー』)路線とは別に、無軌道青春ものというのがあるじゃないですか。『卒業白書』だったり、最近だと『スプリング・ブレイカーズ』とか『ブリングリング』、あとハウスパーティーものの現代過激版である『プロジェクトX』とか、ああいうのを見るとアメリカ人の若者がイケてる事やる時に、ゴミ箱ぶつけとか、若干無茶やるのがカッコいいみたいなところがあって、それでどんどん犯罪傾向が強くなっていって、それで『卒表白書』で最後売春婦を呼んで、みたいにかなり犯罪傾向が強くなっているけど、でも今ドラッグって言ったってマリファナってレベルじゃなくてコカインとかエクスタシーとかになっててもう「完璧犯罪に入っています」シリーズになっていることがあると思います。
でも『アメリカン・スリープオーバー』はもうちょっと年が下なんですね。もうすぐ高校生になる世代の子たちでしょ。だからもう少しこれが年いって都会とかに行くと『スプリング・ブレイカーズ』一気に犯罪傾向になる、もちろんあれは少し幻想的に描いてますけど。でもそういう潜在的な、「いけるとこまでいっちゃうっしょ!」みたいな、「ギャングっしょ!」みたいな、「盗みっしょ!」みたいなところもありますよね。だから青春映画でももう一つ路線があって「どこまでやばいとこ行ける路線」というか、そういうものがあると思います。だからアメリカって面白いですねっていう(笑)。
あの両方に共通して言えるのは、例えば日本映画と比べて言えるのは、日本だと未成年が「皆やっちゃいけないことだって分かっていること」をやるっていうシーンを入れるのってあまりポピュラーじゃないじゃないですか。だって大人がタバコ吸うだけで怒られちゃうんだから(笑)。
ましてや未成年がタバコ吸う、酒飲む、大麻やるっていうのは。でも現実にはそういうことやるっていうのを俺ら知っているのに、(そういうシーンが日本映画で余り無いのは)根本的な差だなと思いました。あの『ひゃくはち』っていう高校球児を描いた映画ってご存知ですか? 『宇宙兄弟』の森義隆監督の作品なんですけど、これは高校球児が主人公なんですけど、タバコ・酒・夜遊びしまくりなんですよ(笑)。
この作品は「ああ、きっとこれはそうなんだろうな」って思わせる勇気ある作りで良いですよ。すごいリアリティーあるし。高良健吾君とか出てるんですけど。きっと高校生たちなんてアホに決まっているんだから(笑)。タバコ・酒・夜遊びなんかやるに決まっているっていう。コーチが竹内力さんなんですけど、エンドクレジットが終わって竹内力さんの顔に「未成年の飲酒・喫煙は禁じられております」という吹き出しがついて映画が終わるという気の利いた作りになってますけど。映画をこれから作るという方は現実との闘いが待っておられると思いますけど、こんな穏当な映画(『アメリカン・スリープオーバー』)でも、そのレベルはやっているんだから、とは思いますよね。

降矢
今の犯罪的なことを描く、描かない、という話で、この上映会をやる前に色々な青春映画を見直していて、初期の60年代とか70年代の話だと犯罪的なことをやると映画の最後に罰を受ける、教訓めいた作りになっていることがあるな、というのを思い出したのですが。

宇多丸
そうですね、例えば『初体験/リッチモンド・ハイ』だとセックスによって妊娠事件が起きてしまって……という話で。でも『初体験/リッチモンド・ハイ』は本当に良いですよね。ジャッジ・ラインホルドがフィービー・ケイツの裸を想像してトイレでオナッていると、フィービー・ケイツがガチャっと入ってきて、「ノックの伝統は無くなったのか!」って言う(笑)。それが最高(笑)。

降矢
昔の青春映画だとそういう教訓めいた話になっていたのが、最近のものだと教訓にはならないと言うか、『スプリング・ブレイカーズ』なんかも。

宇多丸
まあ『スプリング・ブレイカーズ』はちょっとどうかな。あんまり良いことになっているという結末では無いから。あれはあれで不思議な映画ですけどね。でもセックスごときは因果応報のうちに入ってこなくなっているというのはあるかもしれませんけどね。あと『プロジェクトX』とかは『卒業白書』の過激版なんだけど、家が燃えちゃったりしている訳ですよ。でも学校に行ったら人気者になったからオール・オッケーみたいな(笑)。

降矢
父親も許しちゃったりして。
AmericanSleepoverトークショー写真1
【異なる性表現】

宇多丸
そうそう。いかがなものか、という。『卒業白書』くらいからですかね。トム・クルーズがもうやけくそになって「私ハスリングしてますが、何か?」みたいなこと言ったら、あの有名校の人が丸め込まれちゃって、全て丸く収まりました、みたいなのは。あーそうか、そういう変化もあるか。そういう倫理観の変化ってことでなんか今言おうとしたことあったんだけど、何だっけな?思い出したら言うんで、とりあえず別の話しましょうか。
そういえばパンフレットの青春映画のリストにも載っている『アメリカン・ティーン』ってあるじゃないですか。あれはドキュメンタリーだけど。まぁドキュメンタリーなりの演出みたいのは入っているにせよ、もしあれがアメリカン・ティーンの実態を描いているとするならば、あれ見ると「ああ、ジョン・ヒューズの映画みたいなことって本当に起きているんだ」と思うじゃないですか。
あるいは逆に、ジョン・ヒューズの映画みたいなことを今のティーンたちが演じる時代になってきているのかもしれないけど。やっぱりこういうことで思い悩んだりするし、アメリカの若者でさえ。まあそれは『アメリカン・スリープオーバー』もそうですけど。そのレベルで、まあでもそうだよね、若者なんだから、という感じはしますよね。だから日本映画のセックス描写と比べると、ああ、そうだ何言いたかったか思い出した。
ちょっと映画から話ずれますけど、僕古雑誌コレクトが大好きで、特にファッション誌を集めるのが好きなんですよ。『ポパイ』を集めるのが好きで、創刊号から集めて見ていくと、80年代半ばまで、と言うより僕らが思うより遥かに昔の若者ってウブなんですよ。80年代とかってバブルでブイブイいわせて、みたいに思うじゃないですか。確かにブイブイいっててやたらとセックス、セックスとか言っているんだけど、逆に言うと、セックスがものすごい有り難いことになっているんですよね、80年代当時は。
70年代『ポパイ』はデート特集も女の子をクドく特集も一切してないんですよ。奥手なんですよ。女の子を扱っても変な扱い方、例えば「彼女を好みの女の子に仕立てちゃうのだ」みたいな(笑)。「みそ汁とタルトを作れないとダメなのだ」みたいな(笑)。なんだその組み合わせ(笑)ってなるんですけど、とにかく熟れていないの一語に尽きるんです。デートのhow to にもなってなくて、「女の子はなんでデートであんなに食べないのか、我々は不満である」みたいな。「喧嘩したらお好み焼きで仲直りするのが◯」みたいなことが雑誌口調で書かれてあって、熟れてないんですよ。
で80年代になると、how to 的な、どこそこに行って、こう口説いてみたいなのが出てくるんだけど、今の観点でいくと必死過ぎ(笑)。ここまでしないと出来なかった、やっぱその有難いんですよ、セックスが。80年代、全部セックス、最後にはそれなんですよ。詳しく言うと時間かかるんで全部は言わないですけど。なので今の感覚からするとウブなんですよ。
だから映画での性の描き方なんか、例えばさっき森田芳光が出たから彼の『メイン・テーマ』だと、薬師丸ひろ子がとにかく決心して一発ヤルまでを延々ひっぱる話なんだけど、次の『Wの悲劇』だと冒頭からやっている、ここのジャンプですよね。あそこで薬師丸ひろ子もヤッてるんだからということで性の大暴落がしたと思うんですけど(笑)。ちなみにその手前で『探偵物語』で松田優作とディープキスした時点でキスの値段は大暴落してたと思うんですけどね(笑)。それまでは死体のおじさんとしかキスしてませんから、薬師丸ひろ子は(笑)。それでギリ許されていたんで。
『セーラー服と機関銃』ですか、僕も当時崇拝してたんで、まあ死体のおじさんとなら致し方ないと思ったんですけど、その次が松田優作とディープキスだったんで最悪でしたね。
で、話を戻すと、『メイン・テーマ』で薬師丸ひろ子の相手役が野村宏伸というオーディションで選ばれた俳優なんですけど、その野村宏伸と薬師丸ひろ子が「ホテルに行こうよ」という約束をする、それでその「ホテルに行きました」=「ヤル」だからめでたしめでたし、というオチなんですけど、当時僕は14,15歳で童貞ですよ、それで僕はその映画を見た時野村宏伸がナンパ師に、女たらしに見えたんですよ。何かとすぐクドくし、当時からするとスゲーおしゃれな格好してたんですよ。緑色のサマー・セーターにグルカショーツみたいなのを履いて素足でエスパトリーユみたいなのでね。そんな格好した奴いなかったから、「カッコいいー、なんておしゃれなんだ」と思ってね。ただその野村宏伸がデビューしたてで、なんて言うか演技がすごいんですよ。ちょっと別次元の演技。キャラクターもすごいんですけど、手品師志望の男の子で、変なキャラということもありますけど、演技テンションがおかしくて。
『メイン・テーマ』のクライマックスがまさにアメリカン・ダイナーみたいなハンバーガーを車に運んでくるようなお店で、周りにわーっとこう人々が盛り上がっている。ちなみに『メイン・テーマ』は大好きな映画なんですけど、死ぬほどダサい場面がある(笑)。周りでこう踊っていると。まあそれはいいんだけど、そこで薬師丸ひろ子がオッケーをする、今まで口説いていたんだけど初めてオッケーをする。こうやってジュース飲んでて、野村宏伸が「じゃあ今度一緒にモーテル行っていい?」って聞いたら薬師丸ひろ子が「いいわよ」って言って、で野村宏伸がこうジュースをブーって吹くんですよ。「えっ、モーテルでベッド、二人で一つでも?」、「二人で一つでもいいわよ」みたいな感じで。そうしたら野村宏伸が「本当かよ?最高だよ!どうしたんだよ!?」みたいなこと言うんですよ(笑)。それで薬師丸ひろ子が「そんなに嬉しいの?」みたいなことを言うという。

樋口
ウブですね。

宇多丸
ウブなんですよ、今見ると。で大人になって見ると、なんで薬師丸ひろ子がそれまで断っていたのか分かって、と言うのは薬師丸ひろ子がこういうこと言ってたんですよ。「ちゃんとアンタも女の子の気持ち考えてよ。私にも立場ってものがあるんだから」って。つまり「別に私だってやぶさかじゃないのに、お前の口説き方が下手なんだ」って言っているんですよ。だから野村宏伸は全然ウブな奴だったんですね。ということに気付いたというお話でございました(笑)。だからあれは84年の映画で、バブルで調子こいていたと思われるかもしれないけど、その程度だったということですね。

樋口
確かに今だったら簡単にいけちゃう、という感じがありますもんね。

宇多丸
今だったらヤル、ヤラナイの話はあの年頃はしていないと思うし、それこそ『桐島、部活やめるってよ』の話だったら、あの映画のイケテルチームの、彼氏彼女のチームはもうヤッている話でしたよね、はっきり。「宏樹君とかは体も良いのよ」みたいなこと言ってね。そういう露骨な場面は無いにせよ、そこはもうハードルにはなっていないという感じだったから。まあ例をあげれば他にも色々出てくると思うんですけど。それでセックスが重要な問題では無くなった、それはたぶん、アメリカと日本で比べれば日本の方が低いんですよ、おそらく。宗教的なハードルが無いから。というところで日本は日本で他が描かない青春映画というものがあり得ると思うんですよ。
例えば……、『モテキ』は青春映画だよね。あとは『恋の渦』とかも青春映画かもね、ひょっとしたら。そういうのはあるけれど、もっとやればいいのにな、とは思いました。
例えばああいう(『アメリカン・スリープオーバー』に出てくる)大学のお泊まり会とかで言うと、そういえば大学のチャラ系のサークルだと新入生の男女を一晩同じ布団で寝かせるっていうことを聞いたことがあるのを思い出しました(笑)。

樋口
チャラいですねー。

宇多丸
すごいでしょ?

樋口
日本で、ですか?

宇多丸
日本ですよ、早稲田ですよ(笑)。有名なのはもちろん「スーパー・フリー」でしょうけど、あれは後から出て来たクチで、80年代末当時は「ブルー・ジェイ」とか「レッド・バロン」とかカラー・ギャングみたいな名前のサークルがトップで(笑)。
どんどん話ズレていきますけど、たしかその「レッド・バロン」の4年生が、4年になるとサークルを卒業するんで新たにサークルを作った。僕1年の時にサークル紹介の文章を見て仰天したんですけど、名前が「トレイシー・ローズ」って言うんですよ(笑)。まあ伝説的なポルノ女優ですよね。で「サークル活動内容:ヤルこと」って書いてあって、「募集する人:させ子」みたいなことが書いてある(笑)。でこんなこと書いてあるのに、ちゃんと20人くらい集まったらしいんですよ。

樋口
女の子が20人ですか?

宇多丸
女の子が、です。ちなみにその「トレイシー・ローズ」にいたのは日本のベン・アフレックみたいなのだと思うんですよ(笑)。皆に「あの人卒業しねぇかなー?ホント嫌なんだけど」とか思われている人(笑)。とにかく、そのへんのチャラ系サークルが4月に新歓合宿があってどっか行って、新入生の男女を同じ布団に寝かせる、というイヤらしい儀式があるというのを風の噂で聞きましたよ(笑)。

樋口
イヤらしいですね!

宇多丸
まあ僕がいたのはもっと硬派なソウル・ミュージック・サークルだったんでそういうのは無かったですけど。僕のイニシエーションは、スペイン坂の出口のところが2階になっててベランダみたいになってたんです。そこに上って道行く人に向かってラップしろっていうのでした(笑)。

樋口
先輩の命令で(笑)?

宇多丸
やりましたけどね!あとセンター街でもラップしろって言われました。それでその間先輩たちは集まってきた女の子たちをナンパしてましたね。最悪っていう(笑)。

樋口
最悪ですね(笑)。でも宇多丸さんがラップやるとやっぱり集まって来るんですね。

宇多丸
そりゃそうでしょう。そんなバカいないから(笑)。ラップしている人なんていなかったですからね。

樋口
そういう意味ではやっぱり日本でもちょっとしたしごきみたいなのはあるんですね。

宇多丸
ありますね。だから今日の映画を見ながら、日本だとどういうやり方があるかな、ということを考えながら見ちゃってましたね。色々やり方あるだろうな、と思って。でも日本だと「可能性が無限に広がっていることとしての青春とその終わり」みたいなのを限定シチュエーションで描く映画って、意外と無いですよね。『アメリカン・グラフィティ』みたいなの。敢えて言えば『桐島、部活やめるってよ』とかになるのかもしれないですけど。一晩ものもあまり無いですもんね。
日本の学校のシステム的に一日に集約出来ないってのがあるんですかね? あ、でも『アメリカン・スリープオーバー』は特定の一日、という訳では無いですもんね。たまたまの一日ですもんね。

樋口
たまたまです。スリープオーバーがいくつも起こるっていうのと、パレードの前日ってことはありましたけど。

宇多丸
なんで日本ではあんまり無いんですかね?青春ものとか流行っているように見えるのに。なんでですかね?

樋口・降矢
難しい質問ですね。

宇多丸
まあでも最初の段階でお酒とかタバコを描けない、っていうのがあるのかもしれないですけどね。

樋口
青春についてくるものの描写ができないという。

宇多丸
性的なことだったら、『パンツの穴』とかありますけどね。あれはもう素晴らしい、立派な作品ですけどね。まあそういう雑念を抱きながら映画を見ていました。
『バッド・チューニング』とか今日上映後に大拍手が起きてましたけど、やぱり大ファンとかなんですかね。

樋口
そうですね。びっくりしました。

宇多丸
素晴らしいですね。でももっと見る機会が増えればいいのにな、とは思いました。ジョン・ヒューズとかのクラシック作品とかって今の若い人たちあんまり見てないんですかね?

樋口
どうなんでしょう? 宇多丸さんは『ブレックファスト・クラブ』という曲も書かれていますが。

宇多丸
そう、僕は曲も作っちゃっている。モリー・リングウォルド、リアルタイム直撃世代だから。特に僕は『ブレックファスト・クラブ』が好きですね。『ブレックファスト・クラブ』が良いのは、いわゆる「ジョックス」、運動神経良くて人気者だけどバカで粗暴、みたいな奴でさえも、実は同調圧力で苦しんでたりするんだ、っていうのを描いたのが画期的で、その後もそういうのあまり無いというか、それこそ『桐島、部活やめるってよ』ぐらいで。
そういう部分が泣けるとうか、エミリオ・エステベスが「俺は親父を振り向かせたくてやった」って言う。「尻にテープを貼って」って言う(笑)。でもあの告白すごく痛ましいじゃないですか。

降矢
3/15にジョン・ヒューズの『すてきな片想い』を併映したのですが、やっぱり「ジョン・ヒューズ上映します!」って言った時の反応は大きかったですね。

【未公開作品について】

宇多丸
『すてきな片想い』は良い映画なんだけど、ドンだっけ?中国人の留学生。あの描き方は日本人にはどうしてもちょっとカチンと来ちゃうというか、あの時代のアジア人の描き方ってああいう感じですよね。幼いか、気狂いか、っていう。でも『ハング・オーバー』まで続いているもんね。
あとさ、重要なトピックで、今回俺この仕事引き受けた理由の一つに「重要だけど小粒な映画があんまり公開されない」っていう現状があって、そういう意識があるんですよね。そういう話もした方が良いんじゃない。まあ『アメリカン・スリープオーバー』は無名の監督で、ヒットした訳でもなくて、っていうのがあるからしょうがないかもしれないけど、結構な監督の新作がかかってないっていうのがあるじゃないですか。ビデオにすらなっていない、配信系にしかないっていない、っていうのがあるじゃないですか。あれはどうしたことなんですかね? 客が入んないってことに尽きるんですかね?

降矢
どうなんでしょう?

宇多丸
例えばサム・メンデスの『お家をさがそう』とかすごい良い映画なのにさ。あ、でもあれはちょっとヒューマントラストでやったか。でもそういう扱いな訳じゃないですか。

樋口
私たちも、公開されていないけどまだまだ面白い映画はあるぞ、という意識のもとではやっています。ただ、小さい洋画を買い付けることのリスクってすごいあって、とりあえず買って公開すればヒットするという時代でも無い。そういう意味で慎重に選ばれた作品が公開されているんでしょうけど、やっぱりなんか物足りないところもあって、という感じです。

宇多丸
今回これだけお客さんも入っているけど、それは併映作の吸引力、という面もあるんですかね? 『アメリカン・スリープオーバー』単体だと厳しいんですかね?

降矢
始めは併映作なしで僕らも考えていたんです。そもそもそんな頭も無しに。『アメリカン・スリープオーバー』面白いし、やれば来てくれるかなーぐらいで。3/22にゲストでお越し頂いた樋口泰人さんが未公開の映画一本ではきついんじゃないという意見をおっしゃって。

宇多丸
シビアな意見ですね。でも良いと思いますよ。こういう分かりやすいセットで吸引しておいて、っていうのも全然ありだと思います。フィルム上映とかも厳しいならブルーレイでもオッケー、やんないよりは良いよ、って僕は思います。もっとこういうの増えれば良いと思います。それで知らない映画に出会えるんだったら、それで全然良いと思います。今回手応えも掴まれたんじゃないですか?

樋口
いえいえ、そんな……(笑)

宇多丸
良いですね、露骨な照れ笑い(笑)。

樋口
でも難しいなというのはありまして、特に『アメリカン・スリープオーバー』は良い意味で派手ではない、というのがあったので。それこそ『スプリング・ブレイカーズ』とかみたいにポスター見ただけで「ああ、見たい」と思わせるような映画と比べると。

宇多丸
『スプリング・ブレイカーズ』は普通のギャルが来てましたからね。「ぽかーん」として帰って行きましたけど(笑)。そりゃそうだと思いましたけどね。でも『アメリカン・スリープオーバー』なんかも山崎まどかさんとか長谷川町蔵さんなんかが紹介する映画を好きな人だったら、絶対好きじゃないですか。僕の知り合いだと音楽評論家の高橋芳明とか絶対好きだから、という映画ですよね。やり方は相当あると思うんですけど。昔なんかだったらそこで独立系の配給会社が知恵を絞って何かやるってところに博打的な面白さがあったから。僕なんかそういう博打的なところにまんまと乗せられたところがあるんで。
『Mr.Boo! ミスター・ブー』なんて普通行かないよ(笑)。あれ完全に乗せられただけだから、っていう(笑)。何が悲しくてあんな香港のおじさんのコメディに行くかっていうと、乗せられちゃっただけだからね。まあでもそういう時代でもないからね。でも他には例えばスティーヴ・マックィーンのそれまで公開されてなかった処女作『HUNGER/ハンガー』がGAGAの配信で見れるとか、100歩譲ってそれでも良いよ、見れないよりは良いよっていうさ。まあ過度にこうでなきゃ、みたいなこだわりを持ってさえいなければやり方は色々あると思うんだけどね。今日の上映も「ブルーレイか」、とか思う人もいるかもしれないけど、多少カクカクしたりとかあったけど、そんなことは百も承知で見て頂く、ということで、見れないよりは良いってことで。

【質疑応答】

降矢
どうもありがとうございます。
じゃあそろそろQ&Aを。
(会場にいらした方々からご質問をいただきました)

男性A
野村宏伸問題に関してお聞きしたいのですが、野村宏伸は「俺は松田優作の弟子だ」と言っているらしいのですが、松田優作は色々な人に「お前は俺の弟子だ」みたいな呪文をかけていたと聞いているのですが。

宇多丸
松田優作が亡くなった後に、色んな俳優が「松田優作は俺だけには特別な扱いをしていた」って証言しているから、松田優作は皆に良い顔していたのかもしれないですね。

男性A
青春映画ということで、60年代や70年代、ATGの時代なんかの青春映画についてお聞きしたいです。

宇多丸
あそこらへん、何が青春映画なんですかね? 『青春の殺人者』とかですかね? でもあの作品って原作が中上健次で「親殺し」とか大文字のテーマみたいなのが入っているけど、そういうことじゃないんだよな、っていう気もするし、そこじゃないんだよな、あの映画の良いところは、っていう。ただある程度消費文化的なものを享受できる環境にいないと、今日見た映画とかは成立しないんじゃないかな、とは思いますよね。社会的な問題、若者の無軌道な生き方、とか社会的な問題と結びつけて描こうとしちゃうけど、別にそういうことじゃなくない?っていう。若者は若者だからっていう。
だから僕の意見ですけど、80年代的なものが成立してきてようやく出て来た、例えば『の・ようなもの』みたいにティーンエイジャーというよりはもう少しそこから離れたところから始めないとダメだったんじゃないかと思います。

男性A
岩井俊二とかどうなんでしょうか?

宇多丸
あーでも『リリイ・シュシュのすべて』なんかは僕の考える青春映画にマッチしてて良い映画だと思います。あれはイジメ描写が良いですよね。

男性B
今のお話をお聞きしてて、青春映画、特に日本の青春映画はアメリカン・ニューシネマ以降に出て来たんじゃないかということを思ったのですが、青春映画とニュー・シネマの関係について少しお伺いしたいです。また80年代以降、中原俊監督とか廣木隆一監督とかの作品で地方を舞台にした青春映画などがありますが、あれもニューシネマの影響を受けている作品のように思えるのですがいかがでしょうか?

宇多丸
確かに、井筒さんの作品とかそうですね。
あと地方や郊外を舞台にした映画で言うと、『ニュータウンの青春』とかもそうでしょうけど、『サウダーヂ』とかね。
でもアメリカン・ニューシネマ的な映画と今日見た映画ってどう違うんですかね? ちょっと似ているのかな? 車の走っていく先が明るい未来とは限らない、みたいな感じとかね。アメリカン・ニューシネマの成り立ち自体がちょっと青春みたいなことがあるんですかね。反抗期、ということで。すごく印象的な適当なことを言ってますけど。

降矢
3/15の山崎まどかさんの話になってしまうんですが、山崎さんがおっしゃるにはティーン文化はカウンター・カルチャーではない、要するに何かからの反発ではなくて、ティーンたちが自立的に作ったものということをおっしゃってました。

宇多丸
ああ、なるほど。さっき僕が言った「若者は若者」ということですよね。そうですね、だから「若さ故の無軌道」とかそういう大きなテーマに結びつけちゃうと、それはそれで別の話、という気がしますよね。たぶん70年代までは何かに対するカウンターになりがちだったので、何かに対するカウンターに見せて実はそんなでもない、という長谷川和彦監督の2作はすごい青春映画っぽいのかなと思いました。世の中ある程度豊かになって、何かからの反発っていうくびきから放たれたところで、僕らが言うティーン映画、青春映画という形になってきたのかな、と思います。僕ももうちょっと考えてみます。
あとなんで地方で青春映画が成立しやすい、とかも。でも都会を舞台にしちゃうと全然変わってきてしまうんじゃないかな。遊ぶ、にしても東京の風俗が入ってきちゃって、特にこの『アメリカン・スリープオーバー』のように抽象化された青春のあり方みたいなのは描きづらいですよね。だから『桐島、部活やめるってよ』みたいに、学校と外の空間も学校化された空間しかなくて、風俗を排して抽象化された空間を描く、という意味では都会はやりづらいと思います。

男性C
青春映画だとよく「童貞問題」というのが出てくると思うのですが、やっぱ童貞はダメなのですかね?

宇多丸
童貞がダメかどうかではなくて、性的なことって、初めて親のコントロールから離れたところで行うイニシエーションなので、そういう意味でそこを自分自身でクリアしたことがあるかどうかっていうことは重要だと思います。親の手助けを借りずに、他人と向き合って、っていうイニシエーションとして、俺は軽視できないと思います。童貞というよりも性的なことを自分でクリア出来るかどうか、という風に言い換えても良いかもしれない。そこで自分とちゃんと折り合いがつけられないと『クロニクル』の主人公みたいに大人になり損ねる、ということはあると思います。まあ彼、幼いからね。『クロニクル』における超能力、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』におけるお金、どっちも人間的キャパシティが狭い中で持っても無駄ってことがね、分かる映画ですね。この程度しか思いつかない、という(笑)。
やっぱり人間の中身のキャパシティっていうのは肉体以上にいかんとしがたいところがあるという。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のジョーダン・ベルフォートって、最初の奥さん以外みんなお金で買った女の人じゃないですか。その意味でも全体に言動が子供っぽい、ちゃんとした大人になり損ねた人、という描き方ではあるかもしれない。童顔のディカプリオにはだからやっぱりぴったりの役なんですよね。

樋口
ということで、結論としては童貞はダメ、ということですかね?

宇多丸
童貞はダメということです(笑)。

樋口
ありがとうございました(笑)。
そろそろお時間ということで、宇多丸さん、どうもありがとうございました。

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Killer of Sheep

スラム街に暮らす黒人たちの暮らしを鮮やかに描き、望まれながらも長らく劇場公開されなかった、黒人監督チャールズ・バーネットによる幻の傑作。 1970年代中頃、ロサンゼルスにあるワッツ地区。黒人たちが住むそのスラム街で、スタンは妻と息子、娘の4人で暮らしている。スタンは羊などの屠処理の仕事をし、一家は裕福ではなくても、それほど貧しくはない生活を送っていた。しかし仕事に励むなかで、日に日にスタンの精神は暗く落ち込み、眠れない日を送るなかで妻への愛情を表すこともしなくなっていた。 子供たちが無邪気に遊びまわっている街は、一方で物騒な犯罪が起き、スタンの周りの知人友人にも小さなトラブルは絶えない。 そんななか、家の車が故障したため知人からエンジンを買おうと出掛けるスタン。しかしエンジンを手に入れたスタンは、その直後思わぬ事態に見舞われるのであった……。

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