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山崎まどかさんトークショー『アメリカン・スリープオーバー』上映会(OPEN THEATER vol. 3)

『アメリカン・スリープオーバー』上映会レポート

2014年3月、我々Gucchi’sFreeSchoolは東京藝術大学映画専攻と共催で、日本未公開青春映画『アメリカン・スリープオーバー』の上映会を開催しました。3日間の上映では連日定員を超える大勢の方々にお越しいただき、素晴らしい未公開作品を皆様にお届けすることができました。

このページでは、当上映会で各日映画上映後に行われた豪華ゲストによるトークショーを、全3回に分けてお送りします。

第一回のゲストは文筆家で映画ライターのお仕事もされている山崎まどかさん。アメリカティーン文化にも造詣が深い山崎さんは、思春期の少年少女を描いた『アメリカン・スリープオーバー』をどうご覧になったのでしょうか……。山崎さんの話すリアルなアメリカティーンの生態にも注目です!

司会はGucchi’s Free Schoolの樋口幸之助と降矢聡(以下、樋口、降矢と表記)です。
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樋口
本日は横浜までお越し頂きまして誠にありがとうございました。最初からいらした方は2時、3時からだったので、長時間座っていて大変かなとは思うのですが、これから山崎さんに『アメリカン・スリープオーバー』についてお話を伺ってまいりたいと思いますので、よろしくお願いします。

山崎
よろしくお願いします。残ってくれた人どうもありがとうございます。ソファー席、今だと座り放題なので、良かったら前の方に。後ろの方にいてもつまらないので。たぶんソファーで見れるのは今しかない、トークショーを寝て見てもしょうがないという話かもしれないんですけど(笑)

樋口
まあそうですね、ちょっとすごい姿勢で見ることになるかもしれないんですけど(笑)

山崎
そうですね(笑)

樋口
(観客動かず)……。このままで大丈夫ということですね。

山崎
そうですね。はい。

【上映会場について】

樋口
そうしましたら、会場が今日、普通の会場と違ってですね、こうしたスタジオ風のところで見るっていうのが初めての方もいらっしゃるかと思うのですけども、山崎さん自身こういうところというのは?

山崎
『アメリカン・スリープオーバー』は3回上映で、あと2回は視聴覚室みたいなところなんですよね? 今日来た人が一番得かな、とは思います。こんなに良い空間で、なんか藝大贅沢(笑)。こういう大きなスクリーンで見られる機会っていうのは滅多にないし、ちょっと祝祭的な空間ですよね。だからあまり上映機会が無い映画を見るのにすごく適していると思います。やっぱり映画は見るって言うより体験する、みたいなところがあるじゃないですか。そういうことを考えると今日ここで『すてきな片想い』と『アメリカン・スリープオーバー』見られた人たちってラッキーで、ちゃんと残る経験にはなると思うんですよ。『すてきな片想い』から見ている人ってどれくらい?
ほんとラッキーだなと思うのは、日本でこういう環境で『すてきな片想い』見た人はあんまりいないはずなんですよ。なぜかって言うと、1985年の日本公開当時(註 1985年3月21日公開)『すてきな片想い』ってそんなに大きな公開の仕方をしてなくて、私もスクリーンでは見てないんですね。
『すてきな片想い』は何かの併映作品として地方のみで廻っていて、逆に言うと都内にいると見られない映画だったんですよ。『オリーブ』とかにちっちゃくスチールが載ってて、雑誌で広告は見ていて、めっちゃくちゃ見たいと思ってたんですけど、地方でしかかからない。ジョン・ヒューズの作品自体が実は日本ではあんまり大きい公開の仕方をしてなくて、80年代のリアルタイム組でジョン・ヒューズ好きって人の中でたぶん『フェリスはある朝突然に』が突出して人気があるっていうのは、マシュー・ブロデリックが主演だからなんですよ。マシュー・ブロデリックは日本でも人気があったんで、あれだけ公開規模が大きい。だから『ブレック・ファストクラブ』とか『すてきな片想い』を実際に劇場で見た人っていうのはきっとそんなには多くないはずだと思うのですよね。

樋口
そういう意味でも今日はラッキーだったと。

山崎
ラッキーだったと思います。

樋口
『アメリカン・スリープオーバー』も今回初めて上映ということで、この映画のDVDは日本でも発売されてないので、家で見るとしたら海外版と言いますか、英語字幕で見るしかありません。

山崎
今これくらいの規模の映画が日本で見れない状態になっちゃったのがすごく残念。映画祭で回っている時も『アメリカン・スリープオーバー』はすごく評判が良かったので、日本でもちっちゃい劇場でかかっていい映画だとは思うのですけど。

樋口
監督もこれが長編初監督という知名度もほとんど無いような映画で、今日見て頂いて、面白かったかどうかというところでもあるんですけど。僕らとしてはこの映画を紹介するにあたって今山崎さんおっしゃったみたいに、公開されてなくて、これくらいの規模で、でも本当に面白い映画って言うのはまだまだあるという状況で、こういう施設とかこういうイベントで流せたらな、と思っていまして。

山崎
そうですね、一時期はサンダンス映画祭っていう冠がつくと日本でも割と公開しやすかったという時期があった。そのサンダンスで面白かった作品でさえも日本に来ないっていうので、今みんなストレスが溜まっている状態なのかな。『アメリカン・スリープオーバー』はサウス・バイ・サウスウエストというイベントで賞を取って話題になりました。もうこういうところに来ている方はきっと知っていると思うんですけど、サウス・バイ・サウスウエストっていうのは、もともとは音楽の祭典だったんですね。今はインディーズ映画の登竜門になりつつある。
今日配られたパンフレットにもサウス・バイ・サウスウエストの最近の話題の作品について触れられています。皆さん貰えてラッキーですね。有名なところではレナ・ダナムの『Tiny Furniture』がここで賞を取って有名になりました。彼女がクリエイターの『Girls』っていうドラマも初公開はサウス・バイ・サウスウエストで、最初の3話を90分で流した。それがヒップな宣伝方法になっていて、サウス・バイ・サウスウエストは音楽と映画と両方好きな人に注目されていますよね。

樋口
ちょっと今ご紹介頂いたので、パンフレットの中にサウス・バイ・サウスウエストに関してちょっと特集しているページと、それから山崎さんのページもありますので(ご覧下さい)。今読まれちゃうと僕ら3人で話している感じになっちゃうんで、終わってから読んで頂けると(笑)

山崎
そうですね(笑)。(原稿は)割とスリープオーバーということをテーマにして書いて下さいという話でした。

【青春映画の伝統】

樋口
山崎さんは映画もそうですし、またティーンのことに関してもお書きになっているということで、単純に(『アメリカン・スリープオーバー』を)映画そのものというよりも青春映画とかこういう登場人物がいる、という観点から原稿を書いて頂き、こうやってお話も伺いたいなと思っていました。今回の『アメリカン・スリープオーバー』を今日併映した『すてきな片想い』や他の青春映画と比べた時の魅力だったり違う点だったりをお聞きしたいのですけど。

山崎
そうですね。パンフレットにも書いたんですけど、『アメリカン・スリープオーバー』は青春映画のとっても伝統的な流れに沿っています。新人の監督がちょうど自分の思春期にあたることを描いていて、かつそれが1日ものであるところとか。ジョン・ヒューズの長編処女作『すてきな片想い』にも同じところがあって、あの映画も舞台はシカゴの架空の街だけどジョン・ヒューズの故郷をベースにしていて、一晩で色んなことが起こるマルチプロットの映画になっている。そういう意味で『アメリカン・スリープオーバー』っていう作品はアメリカ映画の伝統に則っているというところがひとつあると思います。他にそういう作品でいうと『アメリカン・グラフィティ』ですとか『バッド・チューニング』ですとか。
『アメリカン・スリープオーバー』は特に『バッド・チューニング』に似たところがある。でも『アメリカン・スリープオーバー』はそれらよりも登場人物の年齢層を下げているところも面白いと思います。日本だと分かりにくいんですけど、(マギーたちが)高校1年生にしては幼いかなと思った人もいるかもしれません。アメリカって高校が4年制なので高3って言っている子が17歳なんですよ。
だから今度高校生になるって言っているマギーとかロブっていうのは14歳、15歳なんですよね。だからちょっと年代が下なんです。

樋口
1年ぐらい日本とずれがあるという。

山崎
そう。だからあんなに体格差がある(笑)。14歳、15歳だと体格が子供の子と大人の子がバラバラな時期なので。だからマギーとベスの組み合わせでいうと、ベスがすごく幼く見える。
『アメリカン・グラフィティ』は高校卒業の夜を描いていて、『バッド・チューニング』は夏休み最初の日を描いています。『バッド・チューニング』で今度高1に上がる子たちを先輩たちがイジメに来るっていうシーンがあるんですけど、その子たちがやっぱ幼い。14歳、15歳で、そこが面白いところかなと思います。
(『アメリカン・スリープオーバー』の)ロブがスーパーマーケットで見かけた女の子を追いかけて、夜中ずっと追い求めているっていうエピソードも『アメリカン・グラフィティ』でリチャード・ドレイファスがサンダーバードに乗った女子をすごく恋い焦がれて一晩中追いかけているっていうのを踏襲している。
あと監督本人が意識したかどうかはわからないんですけども、マギーとベスの関係性が、カーソン・マッカラーズの『結婚式のメンバー』という、日本だとたぶんシャルロット・ゲンスブールの『なまいきシャルロット』の元ネタとして有名な小説で出てくる関係性に似ているんです。女子が二人とも似たような年齢なんだけど一人は大きい世界に憧れていて、もう一人はものすごく幼いという組み合わせ。ああいう関係性からも伝統を感じます。青春映画の場合、伝統を汲みつつも同時に瑞々しいっていうのがいいですね。それはやっぱり監督が自分の経験をベースにしているからなんだな、と。
具体的な風俗は描れてないけれど、誰も携帯電話持ってないってところから考えて、『アメリカン・スリープオーバー』はおそらく、80年代の終わりが舞台なんですよね。ノスタルジックなところとフレッシュさの両方がある映画になっていて、いいなと思いましたね。一晩ものというアメリカの青春ものの伝統に、お泊まり会っていうディテールを持ってきたのがちょっと面白かったですね。

【デトロイト、そしてイニシエーションとしてのスリープオーバー】

樋口
お泊まり会がいくつも起こるっていうのがちょっと特徴的かなとは思うのですが。

山崎
そうですね。ここはどれだけ田舎なんだって話だと思うんですよ(笑)。たぶんデトロイト郊外の街って今もあんまり変わんないと思うんですけど、アメリカのティーンは夜遊びに行くって言ったって、ラウンドワンも無ければ、カラオケボックスも無いんで、本当にこの映画にも出てくるように、誰かの親が週末旅行に出かけたって言ったら、パラダイスなんですよ。遊び場が無いから。
だから映画の彼女たちも女子同士でどこかに行く訳にもいかないので、スリープオーバーが特別な空間になる。でも今でもアメリカのティーンの間では、というか、本当はトゥイーンなんですけど、

樋口
ティーンとは違うんですか?

山崎
プレ・ティーンみたいな存在ですね。13歳,14歳,15歳の子はスリープオーバーが好きですよね。

樋口
それがトゥイーン……?

山崎
トゥイーンっていうのは2000年 以降の言葉で、ティーンも当初はそうなんですけど、要するにマーケットとして発見されると、名前がつけられるんです。何かを買ってくれる層として認識される。トゥイーンっていうのは12歳〜15歳の子、高校に上がるまでの子がマーケットとして活用できる、要するに大人が物を売れるというところで注目されたのが2000年以降。
スリープオーバー自体もマーケットチャンスがあるイベントとして色々と拡大解釈がされている。トゥイーンのスリープオーバー、お泊まり会に必要なグッズとか、飾り付けであるとか、そういうものを作って売る業者があるっていう世界なんですよね。

樋口
今のマーケットの話でも、いくつかのスリープオーバーのなかで割と中身が違うというか、真面目な子たちがいたり、ちょっと大人に憧れている子がいたりというのがあって、『アメリカン・スリープオーバー』の場合だと、ピアスの女の子(マギー)が行ったところと、陸上の女の子、クラウディアが行ったところとではガラッと雰囲気が違うという。

山崎
そうですね、でもマギーたちのお泊まり会、全部がザルなのが恐ろしい(笑)。抜け放題、来放題かっていう(笑)。スリープオーバーってそこが面白いところで、大人公認のナイト・アウトでもあるんですよね。パンフにも書いたんですけど、「13歳の誕生日」とセットになっているというパターンもある。ということはこれも大人になっていくイニシエーションで、大人がいない世界で子供たちが何か好きなことをやれる初めての空間でもある訳です。
アメリカ人っていうのはそういうイニシエーションが好きで、10代の時に「君たちはもう大人だ」っていう儀式が多いんですよ。ティーンになる前からも夏休みにはサマーキャンプに行って、家から離れて、ソーシャルな場を体験する。そういうのは全部独立の準備なんですよね。
『アメリカン・スリープオーバー』に出てくるミシガン大のスリープオーバーキャンプ、本当にミシガン大がやっているのかは謎だけど、ありうるかもとは思います。アメリカではみんな大学に入る時に一旦寮生活になって、家庭というものから切り離されるっていうのがすごく大きい。それまでは個々の家庭に属していたのを、これからは大学の一員になるということをものすごく意識させるというプロセスがあって、あのスリープオーバーは明らかにイニシエーションとして働いているんです。もうあなたたちは大学の一員なんですよ、という。それが最終的に社会の一員になるっていうところにつながっている。
だからアメリカはあんまり実家から会社に通ったりしない。大学から寮生活をした時点でもう大人なんだよっていう認識です。面白いのは、スリープオーバーは大人公認の行事でもあるけれど、同時にとてもアナーキーな側面もあるんですよね。
『グリース』に有名なスリープオーバーのシーンがあります。トラボルタとオリビア・ニュートン=ジョンが出ている1970年代の学園ミュージカルなんですけど、オリビア・ニュートン=ジョンが真面目でお固い女の子で、それを見た女の子の不良軍団がからかってやりたいって気持ちと、「ちょっとひきあげてやろうよ、あのダサ娘」、みたいな親切心のミックスで彼女をお泊まり会に誘うんです。そのお泊まり会でそれぞれの本音が出るシーンがあり、マギーみたいに家を抜けていく子がいる。スリープオーバーは外側、要するに夜の世界とも直につながっているんです。お泊まり会で一人が窓から抜け出してバイカーたちと行ってしまうというシーン、ああいうのは『グリース』が最初なんじゃないかな。
『アメリカン・スリープオーバー』にも、親から許されて子供たちが別のソーシャルな場を持つっていうのと、本当に親が与り知らぬ世界を持つっていうことの両方がある。ジャネルがやっているスリープオーバーなんかもすごく興味深い。ウィジャーボードが出て来て……。

樋口
“こっくりさん”みたいな?

山崎
そう、こっくりさん。今の女子がこっくりさんやるのか分からないのですが。やったことあるって人は? ああ、男子もいた(笑)。ウィジャーボードと同じような遊びで、紙の上に表を書いて、そこに十円玉を置いて指を上に重ねておくと、霊が降りてきてコインを動かすんです。実際はみんな、意識的か無意識的か分からないけれど、自分で動かしているという(笑)。ああいうことはすごく、ラウンドワンも無くなにもやることがないティーンが(笑)、夜中やりがちなことだなと思います。
『アメリカン・スリープオーバー』は、携帯が無い時代の、アメリカのティーンが夜やりがちなことがすごくいっぱい出て来る。例えば男子たちのあのつまんないお泊まり会(笑)、ビデオでエッチなシーンを巻き戻して見ながらピザ食べているっていう超つまんないお泊まり会(笑)。
彼らは本当にやることがなくて、トイレットペーパーと生卵を持って家を抜け出すんですけれど、あれも伝統的なイタズラなんですよ、トイレットペーパー巻きって言う。トイレットペーパーで知らない家や気に入らない子の家をグルグル巻きにするっていう。

樋口
本当にどうしようもないですね。

山崎
でも本当にアメリカのティーンはあれが好きなんです。私が長編を翻訳したタオ・リンという作家がいて、彼の短編に「サバービアのティーンエイジ・ウェストランドブルース」という作品があるんですけど、大学出の主人公が何もやることが無いんで、実家に帰って地元の図書館でアルバイトするって話なんです。すると高校生の女の子のグループと仲良くなって「アタシら今夜ボーリング行くから先輩も行きましょう。」って誘われて行くと、みんなトイレットペーパー持ってて、「計画が変わってトイレットペーパー巻きに行くことになりました。」って言われて、もういい年の主人公がトイレットペーパー巻きに行くっていう展開なんですよ(笑)。
高校生たちが「アタシらこれのプロなんですよ」って言ってて、プロって何なんだって話なんですけど(笑)、 彼女たちが言うには今、仲間内ではトイレットペーパーがキテている。その前は道行く車の空いている窓に花火を投げ込むのが流行っていて、更に前は「トゥルース・オア・デア」(「真実か挑戦か」)が流行っていたっていうんです。
「トゥルース・オア・デア」はアメリカ映画を見ている人にはおなじみだと思うんですけど、円陣を組んで、その中心で酒瓶を回して命令する人と命令される人を決めて、命令される側が「真実」、つまり告白か、「挑戦」か選ぶっていう遊びです。「真実」だと今夜寝たいのは誰? とか、「挑戦」だとじゃああの人とキスして、とか。あれもアメリカのティーンは大好きなんですよ。ジャネルのお泊まり会のウィジャーボードは「トゥルース・オア・デア」の代わりですね。生卵投げ、トイレットペーパー巻き、ウィジャーボード、「トゥルース・オア・デア」で、アメリカのティーンの夜の娯楽は終わりっていう感じが今も続いている。デトロイト郊外にはその後もラウンドワンみたいな施設ができなかったと思うので。
普通のこういう郊外の一夜ものって、24時間オープンのモールがあったりするんですけど、この映画ではモールすら無い。あるのは廃墟という。今のデトロイトの財政状況考えても良くなっているということは無いので、あの廃墟は今でも廃墟として残っている可能性は高いなと思いますね。『アメリカン・スリープオーバー』って80年代終わりの話ですけども、今のデトロイトのティーンが見ても、「あ、同じだ」と思うんじゃないかな。

樋口
今撮ってもラウンドワンは出てこないし。

山崎
「トゥルース・オア・デア」、ウィジャーボード、トイレットペーパー巻き、生卵は出てきます、絶対に。そういう環境の中のお泊まり会。そういう環境なんだって考えるとスリープオーバーてめっちゃ楽しそうに見えるじゃないですか。「ああ、なんかすごく面白いことが起こるんじゃないか」っていう期待を抱かせる。で同時にソーシャルな場なので、ああいうところでグループが出来たり恋愛が発展したりということがある。
日本のティーンはああいうのを今、全部LINEでやっているというところがある。夜中みんなでLINEやって恋バナとかして、それをやってないとハブられちゃう。でも私はほんと『アメリカン・スリープオーバー』を見て、LINEをやるんだったらスリープオーバーをやれば良いんじゃないかと。

樋口
ああ、すごい話になりましたね。

【スリープオーバーとお菓子文化】

山崎
本当にそう思うんですよ。日本でもスリープオーバーを復権させた方が良いんじゃないかな、実際に集まって。さっきの映画で男子は表向きは「お泊まり会」って言わない、内輪では言っているけど、って話していましたけど、実際スリープオーバーっていうのはどちらかというと女の子の文化なんですね。(スリープオーバーで)みんなで映画も見るので、スリープオーバーで見る映画の定番、スリープオーバーでクラシックになっていくっていう青春映画というのがある。
今日『すてきな片想い』見て良かったな、っていうのは、そのクラシックのなかにやっぱりジョン・ヒューズって入っているんですよ。『ミーン・ガールズ』とか『クラフト』とか『ヘザース』とかジョン・ヒューズを見るっていうのが定番だっていう話が良く出てくる。『アメリカン・スリープオーバー』あんまりお菓子描写は出てこないんですよね。酒はラッパ飲みしていましたけれど。ワインさえラッパ飲みで、紙コップさえ無いのかと(笑)。あと鏡で大麻を吸ったり(笑)。普通はコカインなんですけど、大人ぶりたいからそんなよくわかんないことをやっているんですね。
スリープオーバーでは実際、色んなイタズラをするんです。『スリープオーバー』っていうそのものズバリのタイトルの映画があります。『スパイ・キッズ』に出てくるアレクサ・ヴェガが主役の映画で、やはりスリープオーバーがテーマで、高校に上がる女の子たちが主人公なんです。かつては主人公たちのグループにいたんだけど、今は胸が大きくなって奇麗になっちゃった娘が勝ち組にいて、今でも女子だけでスリープオーバーをしている(主人公たちを)馬鹿にしに来て、「スリープオーバーのこの夜に抜け出して、ミッションを敢行できたら高校のカフェテリアの一番良い席を譲るわ」っていう賭けをするんです。
やっぱりその映画でもスリープオーバーっぽい描写がいっぱい出て来て、映画を見るとか、好きな音楽かけてパジャマで踊るとか、ブラを冷蔵庫で冷やしてつけるとか(笑)。イタズラ電話をしたりとか、食べ物にまつわる面白いエピソードもある。スリープオーバーでお菓子を作るのも遊びのうちなんですけど、クッキーも焼くまでいかなくて、クッキーのミックス状態でみんな食べちゃう。
私はティーンのお菓子文化が大好きなので、今日も雑誌で調べてきたんですけど、「ミッドナイト・スナック」っていうお泊まり会にみんなが食べるスナックのアイデア特集があったんです。「器のいらないアイスクリーム・サンデー」は、アイスを口の中に入れて飲み込まないで、そこにスプレータイプのホイップクリームとチョコチップを入れて口の中で混ぜる、それが最高だって書いてありました(笑)。スリープオーバーでやると盛り上がりますって。
どういう事態になるか分かりますよね、口の中にガァって突っ込んで鼻から生クリームとか出たりするんでしょうね(笑)。ああスプレータイプのお菓子ってそうやって使うんだなっていうのが分かりました(笑)。あとスプレータイプのチーズもある。本当は今日見つけて持ってこようと思ったんですけど見つけられなかった。「スプレーのチーズも最高!」ってその特集には書いてありました。
クッキーやビスケットに何か書るし、寝ている人の顔に書くことも出来る。ガーベッジ・ケーキも面白そうだった。普通のスポンジケーキを買ってきて生クリームやジャムを挟んで、食紅で生クリームを好きな色に染めて、あとはその上にただひたすら好きな物を乗っけていくんです。グミとかキャンディとかマシュマロとかをぐっちゃぐちゃに乗っけて楽しむ、そして最終的にはみんな責任を持って食べるっていう。
そういうのがスリープオーバーで花開いた文化、文化って言えるかどうかわからないんですけど、聞くだに楽しそうで、やりたいっていう感じはあります。皆さんはまだ遅くはないんで、ぜひともお泊まり会をやって、ガーベッジ・ケーキを作って、食べて、こういう映画(『アメリカン・スリープオーバー』)を見ると楽しいと思います。

樋口
今日来て頂いた方は是非。

山崎
でも女の人は必ず経験ありますよね、お泊まり会は。あんまり男の子はやらない?

樋口
男の子は……お泊まり会って銘打ってはやらない……、でもやって中学生ぐらいまでで、高校生ぐらいではやらないかもしれないですね。

山崎
こういうような感じは、修学旅行の時に女子の部屋に行く時くらいですか。

樋口
……どういうことですか(笑)?

山崎
えっ、修学旅行の時に夜抜け出して女子の部屋に行かないんですか?

樋口
まあ、そうですね……。

山崎
ええっ、行きましたよね、女子の部屋に。今会場見たらみんなうっすらとうなずいてくれたんで。

樋口
そうですね……行きました!

山崎
それで枕投げしたり。それが日本だと一番スリープオーバーの雰囲気に近い。アメリカでも枕投げはやりますよね。『ホット・チック』という映画のスリープオーバーのシーンにも出て来きます。
『ホット・チック』はレイチェル・マクアダムスの出世作、ハリウッド進出作なんですよ。マクアダムスが美人の高校生で、美人だってことにかこつけて悪さばっかりしていたら呪いをかけられて、ある朝起きたらロブ・シュナイダーになっているという話です。醜いおっさんの姿に変えられるんだけど、中身はギャルのままなんです。
ロブ・シュナイダーを知らない方はあとでググってもらえるとわかるんですけど、一ミリも奇麗なところがない俳優です。でも中身はレイチェル・マクアダムスなので、彼女の女友達は受け入れるんですよ。それでみんなでスリープオーバーするんですけど、なんせ体は男のおっさんなんで、枕投げが流血の惨事になるっていう素晴らしいシーンがあるんです。女の子の中におっさんが一人いて「キャー」と言って枕を投げてくるんで、女子がみんな鼻血を流す(笑)。

樋口
変態ですね(笑)

山崎
いや本当に良いシーンなんです。グッときます。子供たちだけがいるってことでアナーキーなことが時々起こる、っていうのもスリープオーバーで面白いことだと思いますよね。

樋口
日本だと住宅の問題とかで、集合住宅だとあんまり集まってそういうことするのも難しい面があったりするので。

山崎
そうですね。アメリカ映画とか見るとみんなあんなに夜家から抜け出せるものなのかと思いますよね。セキュリティが甘いですよね。窓を開けて抜け出して朝までに帰れば良い、みたいな。そうやって大人になっていくのかと思いました。日本の場合は夜に抜け出すのは不可能なので。

樋口
まあマンションの場合、オートロックとかの時点で難しいですよね。
今お話に出た、抜け出すってところで『アメリカン・スリープオーバー』では大人が一切出てきませんよね。普通だったらちょっとは出て来て、子供とやり取りがあって、みたいなのがあるんですけど、そういうものも一切なくて。

【ティーン文化はカウンターではない】

山崎
それを監督自身が「神話なんだ」という言い方をしていたんですけど、やっぱりアメリカの青春映画の伝統のひとつだと思います。
今日の併映の『すてきな片想い』でも両親は出てくるんですけど、夜のシーンになると大人は全然出てこない。『バッド・チューニング』も大人がほとんど出てこない、大人を介さない世界です。ジョン・ヒューズとかキャメロン・クロウとかの映画もそうですけど、『ウエストサイド物語』が既にそうなんですよね。あの映画って今ではあんまりティーンの話って認識されてないけど、よくよく考えたら10代のギャングの子たちの世界の話で、『アメリカン・グラフィティ』や『すてきな片想い』と同じく一夜ものなんですよ。大人がほとんど出てこない。ギャングの闘争だとか恋愛だとかも子供たちの世界で完結している。ああ、なるほど、と。
『ウエストサイド物語』って映画の教科書ではダメな映画の見本として語られることが多いんですけど、何回か見直すと、こういうところも画期的だったんだなというところが見つかる。アメリカ映画は、子供たちだけの独立した世界を描く時に、大人を出さないという形式を取る。スウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』のリメイク作品で、クロエ・モレッツ主演の『モールス』もそうです。大人がほとんど出てこない。一人だけリチャード・ジェンキンスが出てくるんですけど、ネタバレになるから詳しくは言えないけれど、正確に言うとあの人は本当の大人ではないんですよね。完璧に主人公の男の子の目線のみで物語を見ている。それが大人がからんだオリジナルの映画とは全く違うところで、アメリカ映画らしさなんだと思いました。
大人が介入できないサンクチュアリというのは非常にアメリカ映画的です。日本では学園ものというとどうしても先生との関係とか大人との関係性とかが軸に回っていくんですけども、『アメリカン・スリープオーバー』、「アメリカン」という語を使っているだけあって、そういうところはすごく意識的かなとは思いました。

降矢
今、大人が出てこないという話になったのですが、今日併映した『すてきな片想い』は主人公が16歳の誕生日を迎えたのに、お姉ちゃんたちの結婚式のため自分の16歳の誕生日が顧みられないという話です。
16歳っていうのは車の免許も取れて、大人として認識され始める年齢なのに、周りの大人は全然反応してくれないという。そこで大人への反発みたいなことを感じてはいたのですが、『アメリカン・スリープオーバー』は大人が出てこないということもあって、大人への反発が全然ない。そのあたりはいかがでしょうか?

山崎
そうですね。子供たちの世界で完結している。『すてきな片想い』はおっしゃるとおり、16歳の誕生日というのがすごく大きい。16歳は色んな意味で大人として認められる年齢なんですよ。「Sweet Sixteen」というアメリカのリアリティ番組を見たことがありますか?

降矢
無いですね、僕は。

山崎
私は本当にアメリカの低俗なテレビ番組が好きなんですけども、「Sweet Sixteen」は、お金持ちの女の子が自分の16歳の誕生日を大々的に祝うのをドキュメンタリーで見せる番組なんですよ。大抵女王様気取りで、学校で「私の誕生日に来られる人を発表するわ」なんて宣言したりして(笑)。

降矢
本当にいるんですね。

山崎
本当にいやな奴(笑)。彼女が有名なDJ雇ってパーティを開くと、みんなドレスアップしてやってくるんですよ。取り巻きの女の子とかが「Best Party ever!」とか言ったりして(笑)。クライマックスにだいたい、その女の子のお父さんが大きなリボンをかけた車を用意していて、それがドーンと出てくると、女の子が「ベンツじゃない!」ってギャーって泣くんです(笑)。

降矢
とんでもないですね。

山崎
でも本当に16歳の誕生日っていうのは重要なんです。アメリカはそういう強迫観念的な行事が多すぎると思うんですけど、大人になることとソーシャルなイベントがすごく結びついている。プロムもそうだし、「Sweet Sixteen」とかもそうだし。ユダヤ系だとバルミツバと言って13歳の誕生日を大々的にやるっていう習慣があって。
『すてきな片想い』のモリーは、自分もそういう風に大々的にやってもらえるとぼんやり思ってたら、何にもない、どういうこと? というところで成り立つ話ですよね。ただの誕生日とはちょっと違う。卒業式を無視されたみたいな感じ。大人への反発っていうのはどうなのかな? 私はあんまり考えてなかったんですけど、ただジョン・ヒューズは家庭のことを割とちゃんと描きますよね。それが『すてきな片想い』にも出ていると思います。
でも同じ時期に出て来た『初体験/リッジモント・ハイ』になるとそういうものが全然ない、モールと学校だけで世界が完結してて、大人が入る隙がない。そういうことを見ると「大人への反発」ということが必ずしもティーンの文化を作るということではないんじゃないかなと思います。カウンターじゃないんですよ、ティーン文化は。
そこが重要でカウンターとしてではなく確立された文化としてあるということが『アメリカン・スリープオーバー』を見ても伝わるのではないかと思いました。
ところで、皆さんは『アメリカン・スリープオーバー』の何が面白いと思って上映しようと思ったんですか?

降矢
そうですね、単純に青春映画が好きだっていうのがあったんですけど、それこそ今お話にあがったジョン・ヒューズだったりキャメロン・クロウの作品だったり。
そんななかで『アメリカン・スリープオーバー』を見た時、今までの青春映画が想起されたり、ただ大人が出てこない、とか何か今まで見たこと無いようなことをやっていたりしたのが面白いと思いました。あとはこの空間で上映出来そうってなった時に、スリープオーバーっぽい上映会をやれば何か特別な体験になるのではないかと思って、今回企画しました。

山崎
こういうイベントっぽい感じでやるには本当に良い映画ですよね。お泊まり会映画祭とかやると良いですよ。オールナイトの映画祭って何がしんどいって言ったら体がしんどいので、寝袋込みとかでやれると良いですよね。本当に寝ちゃう可能性もありますけど。
でも『アメリカン・スリープオーバー』見ても他の青春映画とか見ても、アメリカのティーンは夜が強いなと思いますね(笑)。ほとんど寝てないで、明け方にちょっと休んで、朝にパレードで踊れるっていうのはどういう体力なのかという(笑)。しかもお酒を飲み、水につかり、雨に打たれ、自転車で走って、ですよ。すごいタフ。『すてきな片想い』もタフですけど、『アメリカン・スリープオーバー』は輪をかけてタフなところがあって、いいなと思いましたね(笑)。

降矢
そういえば我々が『アメリカン・スリープオーバー』を見ていて、これはなんだ? と思ったのが最後のパレードなのですが、あのパレードはただ単に田舎の地元の記念日かなにかで、映画を見ているだけじゃわからないものなのでしょうか?

山崎
『アメリカン・スリープオーバー』は夏の終わりという設定で、いわゆるアメリカの公的な祝日とは重なっていないので、明らかにあの街だけのお祭りなんだと思います。

樋口
皆さん気付かなかったかもしれないんですけど、最後に手を振っている女の子の肩にかかっているたすきに「ミス・アップル」って書いてある……。

山崎
たぶん、リンゴが名産の土地なんですね。リンゴ一回も出てこなかったですけど。あと収穫期でもなかったんじゃないかな。スプリング・パレードっていうのは映画やドラマによく出てくるんですよ。スプリング・クイーンを決めて、ああいう割と綺麗な女の子が壇上に立つっていうのはありがちです。
『アメリカン・スリープオーバー』は春でもないから、監督が考え出したのか、あるいは撮影地のデトロイトでは「夏の終わりといったらこれ」みたいな祭りがあるのかもしれません。

【子どもの国のアメリカ】

降矢
ちょっと話が戻るんですけど、アメリカですとスリープオーバーなど大人になっていく儀式とかが多いという話でしたが、それは日本では無いと思って良いのでしょうか?

山崎
日本では無いと言うか、アメリカだからあるんです。それはアメリカがこどもの国だからなんです。国のアイデンティティが少年である、という国はアメリカだけですね。だからアメリカの文化を追うのは面白い。私がアメリカの文化を追うのにアメリカの子供たちの風俗を追うのはそのためです。
アメリカ人の強迫観念、基本理念は成長することなんですね。だからあれだけ段階がある。13歳、16歳、プロム、大学入学で寮に入る、そして大学に入ったらもう親元に戻らない、そういう段階にこだわるのはアメリカが少年だからです。逆に言うとそういうイニシエーションが無ければ大人になっていけない、という気持ちが彼らの中にすごくある。それは他の国と違いますね。
例えば日本だと親元から学校に行くとか就職しても親元にいるのはあまり屈辱ではないんですけど、アメリカだと大人になる段階を一つ踏み外した落伍者という扱いを受ける。そうしたことが分かるか分からないかで、アメリカ映画の見方は大分変わると思います。アメリカには独立精神がある。我々は独立することによって国としてのアイデンティティを得たのだ、という。
「なに他国に来て偉そうに、自分の国で食い詰めて来たくせに」とは思うんですけど、我々はゼロから始めて大人になって国を作った、みたいな気持ちがまだあるんですね、あの人たちには。

降矢
今、成長していくという話を聞いていて面白いと思ったのは、『アメリカン・スリープオーバー』を上映するにあたって過去の色々な青春映画を見直していた時に、大人なはずなのに、高校生の時代に戻っちゃう、あるいは高校生活に潜入しちゃう、みたいな話が結構あって、そこで実際の高校生よりバカなことをやっちゃう、さらに子どもじみたことをやってしまったりする。そこには成長したがっているけど結局は子どもに戻っちゃうみたいな、倒錯みたいなものがあるんでしょうかね?

山崎
そうですね、それがアメリカの状況なりアメリカという国を表していると思います。あのひとたちは大人になるということに強迫観念があるのに、未だに少年なんですよね。本当に短いアメリカの歴史を紐解いてみると、ここでイノセンスが消失したという話が何回も出てくるんですよ。
ブラックソックス事件やウォーターゲート、9.11なんか起こる度に、アメリカのイノセンスが消失したって言われるんですね。あれだけ成長することを熱望しながら、成長することに傷つき、子供であり続けるようなところがある。だからやり直すという話が何回も出てくるんだろうな、と思います。

【質疑応答】

降矢
ここでQ&Aにいこうかと思うのですが、何か質問ある方いらっしゃいますか?

男性A
映画の最後の方に廃墟で男女がイチャイチャしたりするというシーンが出て来たのですが、ああいう廃墟の使い方ってアメリカでは普通なのでしょうか? 日本だと廃墟と言ったら肝試しなどに使われることが多いと思うのですが。

山崎
字幕だと廃墟と書いてあったのですが、本編ではあれは「キスメイズ」と言っているんですよね。いちゃつくのが前提の場所なんだと思います。暗闇だから相手は誰か分からない、だからとりあえずやっちゃおうという。
田舎のティーンに娯楽が無くて、娯楽が無いところではセックスというものはものすごい娯楽になるので、ああいうことが起きる。だからあれは行き当たりばったりで、ちょっとキスしたいとかイチャつきたい、セックスまでいかないにせよ、そういうことをしてみたいな、という時にああいうことになるということだと思います。日本でもカップル喫茶とかであるらしいですけど。
アメリカの田舎だと漫喫とかも無いので、廃墟という大きいところでやるわけなんですよね。あそこに集う子たちは気分的にはモヤッとしているので、誰でも良いからキスしてみたいみたいな子たちが集まってくるんですよね。
ロブの友達の背の低い男の子が実はゲイだっていうことを見せるという仕掛けですよね。かわいい女の子に誘われて、いやぼくには恋人がいるからって断っちゃうことで、彼の内部がちょっと明らかになる。あとロブが憧れていたスーパーマーケットの女の子がああいうところで戦利品みたいに男の子を得ている、ストレスも抱えているし、どこか傷ついている娘なんだっていうことがロブにも分かるようになっている。
日本でも地方出身の友達は「田舎は娯楽が無いから早熟だ」って言いますよ。別に田舎を差別して言っている訳ではなくて、たぶん日本でも好きではないけどキスしたな、みたいなことは多発すると思うんですよ。それの廃墟版、と思って頂ければ良いかなと思います(笑)。
学園祭の片付けでそんな好きじゃない子とキスしたみたいな経験はみんなある。あっ、みんなある訳では無いでしょうが、聞いた話ではあると思うのですが、そんな感じだと思います(笑)。

女性A
アメリカ映画を見ていると、体育館でパーティーをやる、というものを良く見るのですが、ああいうものは良くあることなのでしょうか?

山崎
私これだけアメリカの学校について書いていながら、アメリカの学校に通ったことが無いんですけども、でも実際によくある話だと思います。
週末に子供たちがやることがない。代わりに体育館を借り切ってダンス・パーティーとかをやるというのは話に出てくるし、よく聞きます。大人のコミュニティで子供たちを守る、というのも理由のひとつでしょう。娯楽の場を大人が提供する。それに加え、君は学校の一員だよ、ここからは逃れられないんだよ、という囲い込みをそこでやっていて、(それを受ける子供たちは)ストレスだろうな、とは思います。でもそこに行かないと楽しいことも待ってない、という。

女性A
そうしますと、主宰は学校の関係者や大人がやっているものなのでしょうか?

山崎
生徒の側にも実行委員会があるのだと思うんですよね。プロムも実行委員会があって、委員がプロムの会場やテーマ、選曲などを決めてしまうところがある。勝ち組というよりも大人の回し者みたいなタイプの生徒たちがやっているというところがあります。

降矢
そろそろお時間というところで、山崎さん、そしてご来場の皆さま、本日はどうもありがとうございました。

ガーベッジ・ケーキの作り方


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Killer of Sheep

スラム街に暮らす黒人たちの暮らしを鮮やかに描き、望まれながらも長らく劇場公開されなかった、黒人監督チャールズ・バーネットによる幻の傑作。 1970年代中頃、ロサンゼルスにあるワッツ地区。黒人たちが住むそのスラム街で、スタンは妻と息子、娘の4人で暮らしている。スタンは羊などの屠処理の仕事をし、一家は裕福ではなくても、それほど貧しくはない生活を送っていた。しかし仕事に励むなかで、日に日にスタンの精神は暗く落ち込み、眠れない日を送るなかで妻への愛情を表すこともしなくなっていた。 子供たちが無邪気に遊びまわっている街は、一方で物騒な犯罪が起き、スタンの周りの知人友人にも小さなトラブルは絶えない。 そんななか、家の車が故障したため知人からエンジンを買おうと出掛けるスタン。しかしエンジンを手に入れたスタンは、その直後思わぬ事態に見舞われるのであった……。

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