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「写宅部!」(プレミア映写を宅でする部)3日目

さて、引き続き「食べこぼし」である。もう「食べこぼし」はいいんじゃないか、とお思いかもしれないが、もう少しおつき合いいただけると幸いです。
以前にも少し書いたけれど、『アイアン・ソルジャー』という邦題に騙されてはいけない(わたしは騙されました)。ほとんどの人が鬼軍曹の最前線物語だと思ってしまっただろうが、実のところこれはミシェル・モナハン演じる主人公が、「軍人」(国家)か「母親」(家族)か、どちらを選び生きるのか、という選択の映画なのだ。

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↑ミシェル・モナハンの頭の中に親子の像が映るアメリカ版ポスター

前線に出れば幼い息子とは1年も2年も離ればなれ、しかも自分は命の危険まである、という非常にシビアな状況である。こんな大変重い映画でなにが「食べこぼし」か、と。ほかに見るべき所は山ほどあるだろ、と。そう思うかもしれない。しかし、「母親と幼子」、「戦争と日常」と来れば、これはもうほとんど食事シーンにかかっていると言っても過言ではないだろう。

アメリカ人は、人間が生きて行くのに必要なものを三つの基本的要求と呼んでいる。では、その「三つの基本的要求」とはなにかご存知だろうか。それは「食べもの」、「ねぐら」、「愛」らしい。いや、これはわたしが勝手に言ってるんではなくて、「農山漁村文化協会」から出版されている世界の食文化シリーズの『世界の食文化12 アメリカ』に書かれていることだ。多様な「食」が入り込む一方で、20世紀初頭から「食品企業」と「家政学」によって「食」の画一化が進められたアメリカ。その狂おしいほどに錯綜を極める誤解多きアメリカ料理とその歴史を解きほぐさんとするこの本は、「食べこぼし」映画を語る上で必読本といってよいだろう。ぜひ、オススメする。いや、わたしは「アメリカ」しか読んでいないけれど。

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↑『世界の食文化』は「韓国」〜「極北」まで全20巻ある。「極北」とはただ事ではない!

ということで、15ヶ月ものアフガニスタン勤務から無事に“生きて”帰ってきたミシェル・モナハンは、自分の息子を引き取りに行き、もうすっかり“心”が離れてしまった息子と“仮の住まい”で“食事”をする。もう見事に「三つの基本的要求」そのものズバリを描いたシーンなのである(もちろん他にどんな場所でどんな人と食事をしているかがとてもポイントになる映画です)。

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↑無理矢理息子は引き取るミシェル・モナハン

モナハンは息子との関係を回復しようと料理(ライスが見える!)を作って食事に臨むのだが、モナハンのことを母親だと認めない息子はその食事をはねつける。無惨にもテーブルから落ちる料理。母親であるモナハンは当然のごとく叱り飛ばすのだが、その瞬間がとてもクリティカルなのだ。
「行儀よくしなさい!!」
こういう状況で息子を叱る母親というのは、色んなバリエーションがあると思うのだけど、ここではさすが規律を重んじる軍隊の世界で生きる女と思わせる、それは凄まじい怒り方なのだ。つまり“母親”であろうとした瞬間に“軍人”を感じさせてしまうという二重性が現れてしまうのだ。これは中々巧みだなあ。
しかもである。驚くなかれ、この「行儀よくしなさい!!」と激しく叱るモナハンの口からは確実に“ライス”がまき散らされているのだ!

行儀が悪いのは一体どっちなんだ……。

怒るというアクションを介して“母親”であると同時に“軍人”であるという一種の矛盾がライスとともに文字通り噴出する。こんな「食べこぼし」が未だかつてあっただろうか。わたしの記憶にはない。みなさんはいかがでしょうか? おそらくこれはミシェル・モナハンの熱演によって図らずも生まれた決定的な「食べこぼし」なのではないか。
前回のドリュー・バリモアの「食べこぼし」は長年のキャリアから繰り出されたものであったのに対して、ここには剥き出しの「食べこぼし」がある、と言ってしまってもよいだろう。「食べこぼし」はきわめて奥が深いのだ。

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↑ベテランゆえになせる食べこぼし(『子連れじゃダメかしら?』)

今まで書いてきた2作品は主演の女優が序盤で早々「食べこぼし」ていたのだが、『もしも君に恋したら。』は「食べこぼし」の雰囲気を全編に漂わせながらも、なかなか「食べこぼす」ことはない、ジラし系の作品だ。そんな分類があればだが。
この映画のタイトルの変遷について前々回に書いたので、そちらを参照していただければと思うが、「もしも君に恋したら」のタイトルが示す通り、こちらは予想通りに「恋」をしているんだけど、していない(と装う)物語なので、なるほど「食べこぼし」は延々と引き延ばされるはずだと了解していただけるだろう。なぜなら「食べこぼし」は生々しいからだ。どんなに上品に描こうと、やっぱり生々しい。当たり前だ。口にいれたものを一回出すんだから。「もしも〜したら」という、とてもいじらしい(あけすけな言い方をすれば優柔不断な)距離感がキモの映画で早々とそんな様を見せつけられたら、もうなんというか、ダメだろう、きっと(私見では、この「食べこぼし」と「男の泣き顔」、そして「女の全力疾走」は“三大デリケード描写”だと思っている。キマれば効果は絶大だが、そのキメ方がむずかしい)。
ただし、この映画には間違いなく「食べこぼし」の雰囲気が全編に漂っている。というか「もしも」を見事成就させるためには、その漂わせ方が一番の腕の見せ所だろう。たぶん。

主演のラドクリフくんとゾーイ・カザンが仲良くなっていく過程でなされる「食べもの」についての会話がとても重要だ。まず押さえておきたいのは、ラドクリフくんが「揚げればなんでも美味くなる」というやんちゃな舌の持ち主であるということだ。

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↑揚げもの至上主義者ラドクリフくんと、ソファー席であぐらを組む系女子ゾーイ・カザン

しかし、歴史上にはもっともっとやんちゃな舌を持った人物がいる。エルヴィス・プレスリーもその一人だ。エルヴィスが生前こよなく愛したと言われるエルヴィス・サンドをご存知だろうか。日本でも売っている店には売っているみたいなので食したことがある人もいるかもしれない。その中身といえばピーナッツ・バターとバナナ、そしてカリカリに焼いたベーコン。このベーコンの脂をパンにたっぷりとしみ込ませるのが本場ではポイントらしいが、常人にはなにを言ってるのかさっぱりわからない。なにを言っているんだエルヴィスは。当然といえば当然だが、アメリカ人以外には相当なクレイジーなサンドイッチと思われているらしい。
この映画で出てくるのは、エルヴィス・サンドの亜種「フールズ・ゴールド」。(表面にたっぷりとバターを塗りたくった巨大なロールパンの中をくり抜いて)ピーナッツ・バターとカリカリのベーコン、そしてジャムをひとビン分とぶち込むという、ハードコアな一品だ。

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↑こちらが「フールズ・コールド」。ページのトップにある画像がエルヴィス・サンドである。これら高カロリーサンドウィッチを寝る前に2本食べていた(噂です)。

もし挑戦したい方がいれば、こちらから(『もし君』のワンシーン抜粋)。詳細な作り方がわかるだろう。

とまあ食べこぼし代表料理であるところの「サンドイッチ」が主演二人の間で登場するのだから、「食べこぼし」を期待しない方が無理な話である。否が応でも、「食」系シーンは注目せずにはいられないだろう。簡単に触れるだけで恐縮だが、「なぜか窓から落ちる料理人(窓台の高さが膝くらいなのに手摺等がないイリーガル建築!)」や、「患部のアイシングに使うのが冷凍の肉塊(しかもその肉塊をケガの賠償として持って帰る!)」など意表をついた多彩な「食」にまつわるシーンがたしかにこの映画にはある。アイシングに冷凍食品は常套手段だが、「肉塊」は意表をつかれた(冷凍グリーンピースが定番ですよね)。しかし「食べこぼし」はいまだ見られない。
どこまでジラす気なのだろうか。
もうそろそろ映画も終わってしまうのではないか。そのときである。
非常に「食べこぼし」に近しい現象が起きる。
起こしたのはラドクリフくんの姉だ。

姉はなぜだかこれ見よがしに、ノドにつまりそうなパンを食べながらラドクリフくんと話している。
医学部は途中で投げ出したまんまだし、ゾーイ・カザンちゃんは台湾に行っちゃうし「あんたどうすんの〜?」みたいな会話だ。そこで詰まらせんるんですね、パンを。
正直ちょっと雑に見えるんだが、医学生だったラドクリフくんがハイムリック法で見事救済。ポーンと吐き出される、パン。

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↑映画では立位の方(余談だが、C・イーストウッドはハイムリック法でチーズを詰まらせた人を救助したことがあるらしい)。

これがきっかけで意を決したラドクリフくんは、台湾に行ってしまう前の最後のチャンスにゾーイ・カザンのもとへ駆けつけることになるわけなのだ。「フールズ・コールド」をプレゼントに持って。口から食べものを吐き出すという生々しさを目にしたことで、映画自体が、今まで守ってきた距離感をポーンと走破するきっかけが与えられたというべきか。とんでもなく強引な気がするが。まあそういった魔力が「食べこぼし」にはある。あるんだよ、きっと。

思いのほか長くなってしまった「食べこぼし」のお話はこれで終わりです。最後は「食べこぼし」じゃなくて「吐き出し」になってしまった。でも実は「食べこぼし」ているんだ、裏側で。ということで最後に(男性だが)ラドクリフくんが「フールズ・ゴールド」を食べていた現場裏の様子で終わりたいと思います(食べこぼしてる……よな?)。これだ!。「It’s fantastic.」お粗末様でした。

(text:satoshifuruya

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Killer of Sheep

スラム街に暮らす黒人たちの暮らしを鮮やかに描き、望まれながらも長らく劇場公開されなかった、黒人監督チャールズ・バーネットによる幻の傑作。 1970年代中頃、ロサンゼルスにあるワッツ地区。黒人たちが住むそのスラム街で、スタンは妻と息子、娘の4人で暮らしている。スタンは羊などの屠処理の仕事をし、一家は裕福ではなくても、それほど貧しくはない生活を送っていた。しかし仕事に励むなかで、日に日にスタンの精神は暗く落ち込み、眠れない日を送るなかで妻への愛情を表すこともしなくなっていた。 子供たちが無邪気に遊びまわっている街は、一方で物騒な犯罪が起き、スタンの周りの知人友人にも小さなトラブルは絶えない。 そんななか、家の車が故障したため知人からエンジンを買おうと出掛けるスタン。しかしエンジンを手に入れたスタンは、その直後思わぬ事態に見舞われるのであった……。

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