
『海辺の一日 4Kレストア』公開記念トークショー レポート
行定勲監督×森直人さんが語る、エドワード・ヤンの原点と台北という都市
『海辺の一日 4Kレストア』の公開を記念して、誠品生活日本橋にて、映画監督の行定勲監督と映画評論家の森直人さんによるトークショーが開催された。長らく日本では見る機会の限られていたエドワード・ヤンの長編デビュー作をめぐって、作品そのものの革新性はもちろん、ヤンという映画作家が何を見つめ、何を目指していたのかまで、幅広い話題が交わされた。
本作は月10日(金)、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、角川シネマ有楽町、シネマート新宿ほか全国公開!
「すでにすべてがここにある」――ヤン映画の原点としての『海辺の一日』
トークの冒頭で行定監督は、かつてBS放送を録画した状態の『海辺の一日』を大事に見返していたことに触れ、当時からこの作品に強く惹かれていたと語った。映像状態は万全ではなかったが、その奥深さには圧倒されていたという。今回4Kレストア版を見てあらためて感じたのは、この作品には後のエドワード・ヤン映画のすべてが、すでに芽生えているということだった。
森さんもまた、『海辺の一日 4Kレストア』公開に濱口竜介監督が寄せた「既にすべてがここにある」というコメントに同意し、「作家は処女作に向かって成熟する」という亀井勝一郎の言葉を引きながら、『海辺の一日』には『ヤンヤン 夏の想い出』に至るまでのヤンの要素が凝縮されていると語った。
二人が繰り返し強調したのは、この映画が単なる物語映画ではなく、「記憶」や「時間」を描く映画だということだった。『海辺の一日』では、回想の中にさらに回想が重なり、誰の記憶がいま語られているのかさえ揺らいでいく。その記憶の折り重なりが、やがて一つの台北という街の輪郭を形づくっていく。行定監督は、この作品に「台北に生きる人々を描く」というヤンの宣言のようなものを感じたという。森さんもまた、ヤンは台湾ニューウェーブのなかでも、とりわけグローバルな視点を持ち、都市の過渡期を人間群像とともに刻みつけた作家だと評した。

「海辺」という謎、そしてヤン自身の視線
その一方で、行定監督は、海の向こうのアメリカから帰ってきたエドワード・ヤン自身が、自分は台北をどう見るのか、という自叙伝的な思いもこの作品には重なっているのではないかと指摘した。そのうえで、『海辺の一日』にはなお多くの謎があると語る。侯孝賢がより地方的、ローカルな風景を描いたのに対し、ヤンは一貫して都市を描いた監督だというイメージが強い。ところが、このデビュー作だけはタイトルそのものが示すように「海辺」が前景化している。自然をここまで印象的に描いた作品は、後のヤン映画にはほとんど見られない。そのこと自体が、この映画を特別なものにしている点として挙げられた。
これを受けて森さんは、本作のサスペンス的な要素にも言及しながら、海の向こうの逃亡先として「日本」という語が現れる点に着目した。そうした越境の気配や外部への視線は、後年の『ヤンヤン 夏の想い出』へとつながるものとして見ることもできると発言。
また行定監督は、『海辺の一日』こそがエドワード・ヤンの全作品の出発点だという見方を示した。女性の自立という主題は『エドワード・ヤンの恋愛時代』へ、台北における恋愛は『台北ストーリー』へ、都市のなかの暴力は『恐怖分子』へ、世界都市としての台北は『カップルズ』へ、そして家族へと回帰していく流れは『ヤンヤン 夏の想い出』へとつながっていくとして、『海辺の一日』からすべてが派生していくように見える、と全作品の起点として位置づけた。
さらに、本作がカメラマンとしてのデビュー作でもあるクリストファー・ドイルの撮影についても言及し、とりわけシルヴィア・チャンを捉えたクロースアップには、時が止まるような美しさがあると語られた。その美しさは、本作が時間や記憶を主題とする作品であることとも深く結びついている、という指摘がなされた。

侯孝賢とチェン・シャンチーが語った、エドワード・ヤンという人
話題は、侯孝賢とエドワード・ヤンの関係にも及んだ。行定監督によれば、侯孝賢監督から「ヤンは自分を犠牲にしてでも、台北に生きて映画を作っていく若い世代に手を差し伸べた人だった」と聞いたことがあるという。「自分を犠牲にした」というその言葉は、強く記憶に残っていると語った。
また行定監督は、俳優のチェン・シャンチーから聞いた話として、エドワード・ヤンが芸術学校で若者たちに教えていたのは、都市が変わっていくなかで人間がどのように変貌していくのか、そして世界をどう見て、どう捉えるのか、ということ「だけ」だったと紹介した。技術ではなく、自分は世界をどう見ているのかを明確にすべきだというのである。さらに印象的だったのは、登場人物について「何を見たのか」ではなく、「何を見落としたのか」をみんなで考えていた、という話だった。行定監督は、そのエピソードがとても面白く、強く心に残っていると語った。
行定勲監督の映画と、ヤン/台湾映画との接点
ここから話題は、行定監督自身の映画とエドワード・ヤン、さらには台湾映画との関係にも広がっていった。行定監督は、東京を舞台にしてもなお、台北のような映画には辿りつけていないと率直に語った。ヤンが見つめていたのは、単なる個人の関係性だけではなく、都市が変貌していくなかで人間がどう変わっていくのか、社会そのものの揺らぎだったからだ。日本映画では人間関係のドラマに引き寄せられやすいが、ヤンはつねにその背後に社会を見ていた。森さんもその点に深く同意し、ヤン作品には西洋的価値観とアジア的伝統性の衝突、アイデンティティと都市の流動性といった問題が、底流として流れ続けていると指摘した。
話題はさらに、エドワード・ヤンが審査員を務めたマラケシュ国際映画祭で『GO』が主演男優賞と作品賞を受賞した際のエピソードや、『ヤンヤン 夏の想い出』を手がけた河井真也プロデューサーから、エドワード・ヤンの幻の企画書を見せてもらったことがあるという秘蔵のエピソードにも広がった。

エドワード・ヤンの「生き死に」と、全作品を貫く一本の映画
最後に会場からは、エドワード・ヤン作品における「生き死に」についての質問も投げかけられた。それに応えるかたちで、ヤン映画におけて「死」は突然おとずれるものだ、という指摘がなされた。ただ、それが生きているということなのかもしれない。水面に石が投げられ、波紋が広がっていくように、そこには静謐さとざわめきが同時に存在している。「何が起こったんだ」という感覚は、ヤン映画に通底するものとして語られた。
そしてトークは、『海辺の一日』からエドワード・ヤン作品を順にたどっていくと、そこにはつねに台北という都市とその歴史が写っており、同時にどこにも属しきれない人々の姿が刻まれていることがよくわかる、という話へと至った。それはまさに台北そのものを象徴している。そして行定監督と森さんは、エドワード・ヤンは全作品を通して一本の映画を撮っていたのではないか、という結論にたどり着く。その実感を共有しながら、濃密なトークショーは幕を閉じた。
誠品生活日本橋にて『海辺の一日 4Kレストア』公開記念パネル展示も開催中















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