「写宅部!」(プレミア映写を宅でする部)9日目
トッド・ストラウス=シュルソン監督の『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』がDVDスルーになっていたので、9日目の「写宅部!」を始めたいと思います。よろしくお願い致します。
まず監督のトッド・ストラウス=シュルソン氏ですが、皆さんあまりご存じないのではないでしょうか? 実は私もこの作品を見るまで全く知りませんでした。
調べてみますと主にテレビドラマなどを監督しているようですが、2011年に『ハロルド&クマー クリスマスは大騒ぎ!?』という作品がWOWOWスルーされていたようです。ずばり、とても見たいです。もし録画等している方がいましたら、ぜひグッチーズまでご連絡ください。いくらか包みます。
さて、この『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』ですが、実に面白い。
物語は
マックスは、カルト的な人気を誇るスラッシャームービー『血まみれキャンプ場』に出演していた過去を持つ母アマンダを交通事故で無くしてしまいます。母の死から3年後、悲しみから立ち直りつつあったマックスは、友人たちと母の出演作『血まみれキャンプ場』の上映会に出席します。ところが劇場で火災が発生し、逃げ惑ううちになんと、映画の中に入り込んでしまう。異様な光景に戸惑いながらも、ナンシー役で出演する若かりし母と再開を果たすマックス。しかし映画のシナリオ通りに進んでしまうと、またしても母は殺人鬼に殺されてしまいます。どうにか母を助けるために奮闘するマックスだが……
というもの。
映画の中に入り込んでしまう映画という形式はバスター・キートン『探偵学入門』をはじめ、『ラスト・アクション・ヒーロー』や(逆バージョンである)『カイロの紫のバラ』など多く存在しています。最近では60年代のビーチ・ミュージカル「ウェット・サイド・物語」の世界に入り込んでしまう『ティーン・ビーチ・ムービー』が記憶に新しいかと思います。
(⇧ビキニ・ワンダーランドこと「ウェット・サイド・物語」のゴキゲンな世界をどうぞ♪『ティーン・ビーチ・ムービー』より)
映画に入り込む映画には、このように数々の名作/珍作揃いですが、この『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』はさらにもう一ひねり加えてあるところがポイントです。
入り込んでしまうが『血まみれキャンプ場』というスラッシャーホラーというのがそれです。ホラー映画は『スクリーム』以後、非常に自己言及性が高いジャンルの一つで、
有名な三大定式
1.殺人鬼にはヴァージンしか勝てない、セックスは命取り
2.ドラッグも命取り
3.「すぐに戻る」は永遠に戻らない
があり、いわゆる「お約束」で楽します掟破り(掟を破らないことをネタにすることで掟を破っているよう)な構造を持っています。そんな、すでに自己言及性が高いホラー映画に入り込むという映画内映画という自己言及性を取り込むのが本作です。
(⇧下着姿の人は殺されます。『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』より)
母(アマンダ/ナンシー)を守らなくてはいけない娘マックスは、「お約束」通りにことが運ぶと母が殺されてしまうので、母の貞操を気にすることになるわけですが、もちろんここでいわゆる不純異性交遊を厳しくチェックする母/娘の関係性は逆転することになります。
非常に巧みなのが、この母/娘の関係性が逆転することによって出現するそれは、極めて女の子同士の友情に見えてくる、ということです。
「友達のような母と娘」という関係性は、「母親を若く見えるようにする」「母と娘が同じ趣味を持っている」「服装が似ている」など(のみ)で描かれうるものでは断じてありません。
配役の妙もあります。
母(アマンダ/ナンシー)を演じるのは、現在、反知性的かつ純粋な欲望に突っ走る(純真とも言える)女性を演じたら向かう所敵無しのマリン・アッカーマン(『ライラにお手上げ』や『ロック・オブ・エイジズ』をチェックしよう)。娘(マックス)を演じるのは、色白で幸薄そうで悩み顔なので(知性的とも言える)、不幸かつよく悩む役所だとハマりすぎて映画自体が苦しくなってしまう、10年代最も取り扱い注意の女優タイッサ・ファーミガ(『6年愛』などをチェックしてみよう。ハマりすぎて苦しくなることでしょう)。
(⇧左『ライラにお手上げ』、右『ロック・オブ・エイジズ』のマリン・アッカーマン)
(⇧『6年愛』のタイッサ・ファーミガ。Netfilxで配信している。)
彼女たち2人のキワドい部分を救うような役を与えたのでそれだけで一見の価値ありだと思いますが、この母/娘=ベストフレンドの構図に中心に起きつつ、脇にザ・トモダチ女優として確固とした地位を確立したかに見えるアリア・ショウカット(どれも主人公の「友達」として出演しているソバカス顔の女性です)を配置するのはこと更アメイジングです。
物語序盤では、タイッサ・ファーミガの親友として登場するアリア・ショウカットは、ファーミガがアッカーマンと母/娘=友達の関係性に至ると、ニーナ・ドブレフへの絡みにシフトしていきます。ニーナ・ドブレフの役所は、いわゆビッチな女(友達)としてファーミガなどに嫌がらせをしているのだけれど、そのビッチな女がアリア・ショウカットと絡むことで、新しい友情に芽生えていく様は、あまりお目にかかったことのない第三の女同士の友情シーンとして大いに賞賛すべきもにになっています。
ビッチに対するホラー映画の「お約束」をここでも「女たちの友情」を介して変奏しているといってよいでしょう。
(左『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』より。女たちの友情。右、輝くために、生まれてきたらしいニーナ・ドブレフ)
最初は「お約束の使い方上手いなあ」とか「急展開クソワロタwww」みたいに完全に余裕の視聴をしてしまいますが、このようないくつもの「お約束」に抗うための変奏を物語から配役まで様々なレベルで実践する『ファイナル・ガールズ 惨劇のシナリオ』は、最終的に「お約束なんて本当にぶっ壊してくれ。お願いだからお母さん死なないで……」という思いに至ります。極めてロジカルな物語構造を持っているがゆえにそのロジカルが崩壊することを心から望む心情にさせるのは、ロジカル物語のマジカルでしょう。
さて、では最終的にこの映画がどのような結末を迎えるのか、というのはぜひ本編を見てお確かめしていただきたいと思いますが、実はこの映画、映画内映画に入る前から(映画の中に入り込む前の段階から)、すでに「お約束」に対するアンビバレントな気持ちを喚起させています。
それは冒頭の母アマンダが交通事故を起こすシーンです。このシーンはコメディやホラー抜きにして正統な母と娘のシーンとしてとても良い。いや良すぎる。良すぎるゆえに観客の99%が不幸なことが起きると予想します。映画は良すぎるシーンのあとに必ず不幸なシーンを入れます。展開しないですからね。そんなことはわかってる。けど良すぎるので1%の不幸なことが起こらないことに観客は賭けたい。
「お約束」つまり「たぶんこういう展開になるだろうな」という映画の展開に対する反応のとして
1.「お約束」通りにやってくれて大変よい(ホラー映画をネタとして楽しむ態度はこれにあたるでしょう)
2.やっぱりそうなったか。わかってるよ。はぁ……
の二つが考えられます。
そして、この映画では「たぶんそうなる……わかってる……けどならないで……マジで。いくらか包むから」という3つ目の気持ちにさせる何かがあります。
ぜひご覧下さい。
終わります。
(text:satoshifuruya)
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