「写宅部!」(プレミア映写を宅でする部)4日目
マイク・ケイヒル監督の新作『アイ・オリジンズ』が(劇場公開、ソフト化ともにないまま)配信スルーされていたので、部活動を始めます。マイク・ケイヒル監督は低予算ながらかなり独特な雰囲気のSF映画を撮る監督で、なかなか味わい深いのだけど、なかなか公開には至らないですね。前作『アナザー・プラネット』もDVDスルーだったなあ。見た人のなかでは非常に話題になっていた、とは思うんですが。
主演はマイケル・ピットとブリット・マーリング。『アナザープラネット』でも主演(かつ共同脚本)だったブリット・マーリングは才媛として知られて、いま大変注目されている女優さんです。どれくらい才媛かというとゴールドマン・サックスに就職が決まっていたのに、そちらを蹴って女優の道に進んだくらい、才媛です。
監督のマイク・ケイヒルという人は球体がとても好きな人で、『アナザープラネット』ではタイトル通り「惑星」が、『アイ・オリジンズ』では「瞳(虹彩)」がテーマになっています。カタカナでアイと表記している日本語版タイトルですが、原題は『I ORIGINS』。アイはアイでも「eye」じゃない。けれどこの映画は、「わたし」たち人間の起源と進化を解き明かすために、生物の「目」の進化を研究していた研究者の「愛」と「哀」が描かれているので、原題をそのままカタカナ表記にしたら、なんかいい感じになったぞ、という例なのではと思います。
『アナザープラネット』の惑星
さて、この映画の最初のシーンはハロウィーンの仮装パーティーです。そこで主人公の世界を変える「目」を持つ女性に会うのだけれど、女性はマスクをして顔面を覆っているんですね、強盗御用達のアレで。正式名称(?)は目出し帽なのかな、コレはそもそもなんのためにあるんですかね? いや、発祥はクリミア戦争時、寒冷な土地での戦闘に際して防寒として兵士たちの妻が編んだ、ということらしい。あとは頭部、顔面を保護する役割。まあそれはそうなんだけど……なんというかそういうことじゃないんだよ……。ということで実はコレは目を魅せるためにあったんですね。
顔面を覆うってかなり役者たちにとってはクリティカルだと思うんですが、周りを覆って「目」を魅せることで一番上手いこといったのはやっぱり『キックアス』のヒットガールでしょうか(完全に顔面を消し去り、ただ若い娘ということを示すために着用した『スプリング・ブレイカーズ』のマスクは目元の空きがかなり小さくなっていることを今発見しました)。
そういえば、スーパーマンでもスパイダーマンでもいいですが、超人的な身体能力を描くには(常人的な?)生身をまず覆わなくてはいけない、という教えがある……はずです。ありますよね。だって常人がすごい動きをしたらおかしいからね。
だからいたって普通の姿、それも極めて日常的な場面で突然超人的な動きをする『LIFE!』のベン・スティラーには新鮮な驚きがあり最高……という話になると思うんですけれども、そうなると完全に道を見失うので、そういうことにしておこう。
『LIFE!』の超人的動き
ところで、みなさんミミズの感覚機能はいくつあるかご存知でしょうか?
ミミズの感覚は「嗅覚」と「触覚」の二つだけ。ということはミミズは「光」を知りません。けれども「光」は存在する。ミミズも変異で「視覚」を持てば「光」があることがわかる。では人間はどうか。人間も変異して第六感が現れるかもしれない。霊的な感覚が。その人にはもう一つ“頭上”の世界がある。ミミズにとっての「光」と同じような。という会話があるんですが、こういった感じのSFさです、この映画は。
「目」とSFというと「こいつは人間の目じゃない……! 誰だ!」という問題系がありますね。例えばジョン・カーペンターの『光る眼』などは目をがっつり光らせて「瞳SF」の代表格として君臨していますが、『アイ・オリジンズ』はあくまでも科学的に追求していってSFの扉が現れる。外から来るSFではなく、それはすぐそこに、“頭上に”あるのかもしれない、というとてもスピリチュアルな雰囲気です。
スピリチュアル系瞳SF界には、(わたしの中で)トップ女優がいまして、それは『ラブリーボーン』や『ザ・ホスト 美しき侵略者』のシアーシャ・ローナンです。彼女が出てくるだけで一挙にスピリチュアル感が出てくるという。特に“前世の記憶を持っている感”はハンパじゃない。『アイ・オリジンズ』では同じ「瞳」を持つ“生まれ変わり”の存在が最大の謎として出てくるんですが、ここは『ザ・ホスト』の衝撃的なラストに出てくる“生まれ変わり”と見比べてみるのも一興ではないかと思います。また、ただでさえ“前世の記憶を持っている感”がハンパじゃないシアーシャ・ローナンにさらに頬にアザをつけさせ、記憶(痕跡)の二重化を計った『グランド・ブダペスト・ホテル』のウェス・アンダーソンは、とてつもなく欲張りな男と言えるでしょう。
↑『ラブリーボーン』、『ザ・ホスト』、『グランド・ブダペスト・ホテル』のシアーシャ
『アイ・オリジンズ』で、ひと際印象的であるとされる瞳を持っている女性をアストリッド・ベルジュ=フリスベという女優さんが演じています。シアーシャ・ローナンではありません。すいません。ただ彼女の瞳がどうというよりも、それに魅入るマイケル・ピットという俳優が中々のやる気のない目をしている、というのが最大の妙手という気がします。やる気がないというとヒドい言い方なので言い換えると、魅入ってしまう(ときの)目をしているという感じでしょうか。なにかにすぐ魅入ってしまう目。魅入らせる目じゃなく魅入られる目。なんだかややこしいので、まあやる気がなさそうな目でいいか……。『ドリーマーズ』や『ラストデイズ』の人ですからね。なんかもういいや……眠ろう……みたいな。さらにヒドい言い方になっている気がしますけれども。
研究者であるマイケル・ピットは「魂」とか「神」とかを信じない、ただ「事実」のみを信じる、そういうタイプなんですね。
しかし信じられないことが「事実」として起きる。主人公はそれはなにかの間違い(エラー)だと信じないんだけど、それに対する助手であり妻でもあるブリット・マーリングの台詞がとても良い。
「この携帯を100万回落としてみて1回でも落ちなければ 1回でも空中に浮いたなら 調べる価値はあるわ」
めちゃくちゃいい台詞だなあ。「100万回」っていうべらぼうな回数が良い。「落ちなければ」から「浮いたなら」の言い換えが良い。そして「調べる価値がある」というのがとても良い。それは調べる“こと”に価値があるというようにも響くから。不思議なことは調べるという過程のなかにしかないですから、たぶん。不思議さへの正しい肯定だと思った。
最初にマイク・ケイヒルという人は球体が好きと書きました。球体好きはもちろん映画監督だけではなく、というよりこっちの人の方が有名で全然先だと思いますが、フランス革命期の建築家で「幻視の建築家」と呼ばれたクロード・ニコラ・ルドゥーという人などもいます。「眼球」という「球体」の中に「光」が差し込まれて、そこに「劇場」が映っている、という「ブザンソンの劇場」という作品があったりします。
ルドゥーという人は「ショーの理想都市」という計画で、球体の農民“監督”の家などを考えたりしてますが、都市計画で円、球などを色々と用いたりしています。そこでは、都市や地域をどう合理的に管理、監視していくか、ということでそのような幾何学形態が用いられているんですが、この球体=眼球=監視というところでSFチックなのでした(なお、ルドゥーはパノプティコンで有名なジェレミ・ベンサムと同時代人)。
聞きかじった話で調子に乗ってルドゥーのことを書くと、色々と間違ったことを書きそうなのでこれくらいにしますが、もちろん『アイ・オリジンズ』でも、眼球から認証確認するシステムという球体=眼球=監視の構造が出てくるのでした(というか主人公がPax6遺伝子の解明に成功したことで、このシステムが出来上がった)。このようなシステムを極めてシンボリックに描いた映画に『マイノリティ・リポート』などもありますが……まあSFというと眼球ばっかだな……ということで終わりにしたいと思うのですが、カメラ=瞳=認証という流れを考えるなかで一点、19世紀後半に写真が「身分証」の役割を担っていく過程で司法統計学者アルフォンス・ベルティヨンが、人間が人間を認証するにあたって、人の恒常的なものよりも些細な条件(寝癖だとか目の隈だとか)に作用されてしまうことを経験した結果、写真だけに頼るのではなく、身体を各部位に分解、体系化しなければならなくなり、指、足、鼻……と分類し、最終的に最も拘った部位が「瞳」ではなく「耳」であることを思い起こせば、今もっとも待ち望まれているものは耳SFなのではないか、と指摘して今回の部活動は本当に終わりです。(この辺り、2015年新潮6月号「三輪健太朗「マンガ、近代のエフェメラ――あるいはルイス・キャロルの二つの時計」」あたりにわかりやすく書かれていたりしますので、一緒に「耳SF」を探求してくれる方、ぜひご一読を)
おな、iTunesやGoogle Playなどビデオ配信を見れるものはかなり増えていますが、ここでとても耳寄りな情報を一つ。この映画の場合、僕の探した中ではAmazonインスタントが一番安いです(SD画質でよければ)。
そして、最後に。あまり配信で映画を見る機会のない方にとてつもなく基本的な諸注意を申し上げますと、回線が貧弱な中で視聴すると驚くほど映像がカクカクします! わたしは非常にカクカクしたなかで見た!
反省している。
『アイ・オリジンズ』予告
(text:satoshifuruya)
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