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「文芸部」活動日誌vol.2(映画、音楽、本などのコラム)

4月ももう下旬ですねー。早い。
『キングス・オブ・サマー』のディスクが楽しみです!わくわく。

今回は、印刷文化から映画から、イメージのあり方を考えてみました。

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「印刷と映画とイメージ」

飯田橋にある印刷博物館がおもしろい。
石に彫られた法律から、世界最古の印刷物である木版のお経、銅版・石版による美術作品、活版印刷による聖書、そして化学技術の大幅な進歩から感光させることで像を焼き付ける写真技術、写真植字など様々な資料を見ることができる。

大型製版カメラを見ているときに、そういえば、写真や映画はかつてはフィルムに焼かれた印刷物だったのだということに思い当たった。当たり前のことなのだけど、データ化された、“身体”のない文字や写真や映像にすっかり慣れていたのだろう。この液晶ディスプレイ上に、幽霊みたいに電気信号を点滅させ、映像も画像も文字もそして音も境なく、意味情報を私たちに伝える。ここで言う“身体”というのはこの場合、紙やフィルム、そして大量生産する際に必要な版のことだ。

今は版がなくても成立する時代。印刷博物館のP&Pギャラリーでは「進化するデジタル印刷ーオンデマンド出版からバリアブル印刷までー」で昨今の印刷事情を知ることができる。2018年3月24日(土)~6月10日(日)。

映像は、映画はとても不思議なものだ。フィルムを持たない映画はいつの間にかデジタルシネマとして存在するようになった。フィルムの現像という工程の消失、上映時(フィルムという)影を介在しなくても像が光のままスクリーンに投影されるため絶対的な暗闇を必要としなくなった。今はほとんどの映画がDCP(デジタルシネマパッケージ)上映されている。とある映画で印象的なセリフがある。

スクリーンが黒い画面になり、声だけが響く。「これは黒い光、まがい物だ」

映画はリュミエールが発明したと言われているが本当はもっと昔からあったのではないか? と考える映画監督がいる。先月3月に新作『あなたはわたしじゃない』を公開した七里圭監督である。影なき、身体なきデジタルシネマを指して言われる上記のセリフはこの映画のシリーズの中で登場する。

映像と音の関係やフィルムとデジタル上映、映画にまつわるあれこれをテーマに、シンポジウムを交えながらワーク・イン・プログレスとも言える作品「音から作る映画」を制作し、新作の『あなたはわたしじゃない』は「音から作る映画」シリーズで、オスカー・ワイルドのサロメを題材にした「サロメの娘」三部作の完結編である。

リュミエールよりもっと昔からあった映画、集団でみるイメージというものは洞窟壁画から宗教儀式的なものまで遡れるのではないかという話を連続講座「映画以内、映画以後、映画辺境」で触れていた。脈々と続く映画の歴史を行き来しデジタルシネマでいかに表現していくか。映画は人間の、イメージへの原初へ立ち返ることができる、その力がある。

七里監督の映画は夢をみているような感覚になる。音は音として、映像は映像として、観る者の頭の中で融合する。つまりは融合したイメージは観る者の頭の中にしかない。映画館という暗闇で、イメージを他人と共有するという、人間の会話以上の究極のコミュニケーションを試みる。それこそが、映画の原初だったのではないだろうか……。印刷物、物質でなくなった映画の先を見つめてみる。
『あなたはわたしじゃない』は渋谷アップリンクにて4/21(土)から再映している。


(七里圭HP http://keishichiri.com/jp/

集団でみるイメージ、物語を頭の中で再生することは、第二次世界大戦中のソ連捕虜収容所でも行われていた。
ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(岩津航 訳)は、強制収容所に連行されたポーランド人画家ジョゼフ・チャプスキによるプルーストの『失われた時を求めて』の連続講義を、現存するノートをもとに再現された文学論である。

極寒のソ連の収容所、強制収容された将校・兵士たちは物理的・精神的に追い詰められた状況の中、“知的作業”に取り掛かることにした。それは講義を開いて軍事、政治、文学について語るというもの。もちろん収容所に図書室はなく、本は一冊もないという環境で、担当者は自分の得意分野を記憶を頼りに講義する。知の共有。

ジョゼフ・チャプスキの驚くほどの記憶力。同房者は厳しい寒さと監視のもと、暗い食堂に詰めかけ、講義の声に耳を傾け、その時彼らが生きていた状況とはかけ離れた物語を各々の頭の中に描いた。
頭の中のイメージを映し出す映写機の光は、生きる希望の光でもあったはずだ。
壮絶なる歴史的事実と物語・イメージの力を本書は語る。

***

ちなみに『キングス・オブ・サマー』を劇場で観た時にエンディング曲にぐっときたんですが、
17/Youth Lagoon
「17歳の時 母さんは僕に言った 想像を やめないで それは死ぬことだから」
って歌っているのですよね。
ぜひブルーレイを買って、映画を最後までみて、きいてくださいませー!

 

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Killer of Sheep

スラム街に暮らす黒人たちの暮らしを鮮やかに描き、望まれながらも長らく劇場公開されなかった、黒人監督チャールズ・バーネットによる幻の傑作。 1970年代中頃、ロサンゼルスにあるワッツ地区。黒人たちが住むそのスラム街で、スタンは妻と息子、娘の4人で暮らしている。スタンは羊などの屠処理の仕事をし、一家は裕福ではなくても、それほど貧しくはない生活を送っていた。しかし仕事に励むなかで、日に日にスタンの精神は暗く落ち込み、眠れない日を送るなかで妻への愛情を表すこともしなくなっていた。 子供たちが無邪気に遊びまわっている街は、一方で物騒な犯罪が起き、スタンの周りの知人友人にも小さなトラブルは絶えない。 そんななか、家の車が故障したため知人からエンジンを買おうと出掛けるスタン。しかしエンジンを手に入れたスタンは、その直後思わぬ事態に見舞われるのであった……。

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