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『BPM ビート・パー・ミニット』レビュー「写宅部!」(プレミア映写を宅でする部)17日目-

ロバン・カンピヨ監督『BPM ビート・パー・ミニット』の試写に呼んで頂きましたので、写宅部の遠征編を始めたいと思います2018年3月24日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、ユーロスペース他にて全国ロードショーです!

90年代のパリ、まだまだHIV/エイズ感染者への偏見が根強かったころの時代。「AIDS Coalition to Uneleash Power」(力を解放するエイズ連合)=ACT UP-Parisの活動、彼ら彼女らの生き様を活写した本作は、とても素晴らしいオープニングで幕を開けます。

映画のクレジットが映る中、正体不明の誰かの声だけが響いています。その声の主はなにやら舞台の上で講演をしている様子が、舞台裏でこそこそと蠢いている集団越しにかすかに映し出されている。舞台裏の暗闇に潜むその集団はあるタイミングを見計らっているのが、彼らのささやく声や息遣いなどからくる緊張感から伝わってきます。と思った瞬間、ホイッスルやラッパの耳をつんざく鋭い音で、講演は暴力的に中断してしまいます。

次第にその集団はACT UPのメンバーたちで、HIV/エイズの脅威を知りながら一向に効果的な施策を行わない政府、あるいは製薬会社などへの抗議デモであったことがわかります。暗闇に潜んでいた集団は、社会的に無い者とされている者たち、実際にACT UPに参加していたロバン・カンピヨ監督の言葉で言えば「忘れられた存在」でした。

何も知らない映画を見始めた私たちからすると、彼ら、彼女らが、舞台裏の暗闇から極めて暴力的な形で存在を現す様は、見るものを動揺させるのに十分で、その音の鮮烈さによって、わたしたちの心拍数(BPM)はのっけから上昇していきます。

この映画は「忘れられた存在」たちはいかにして声をあげるか、存在を示すか。その軌跡でもあります。ただし、この映画の魅力は、そんな暴力的な主張、その鮮烈さにあるわけではないかと思います。むしろ存在を主張するそのあり方、その方法、声をあげる作法自体こそを映し出していることにある。そんな気がします。

抗議デモという具体的な行動の間に彼らはいつもミーティング、討論・討議をしているのが描かれます。討論の間にデモがあるといってほうがいいかもしれません。彼らの討論には、拍手の代わりにフィンガースナップ(指鳴らし)を用いること、廊下では議論をしないことなどなど様々なルールがあるのですが、そこで丹念に描かれるのは、自らの声(存在)を主張することと同時に、他人の意見に耳を傾けることです。

ただし、討論とはそれだけでは答えの出ないもの、答えを下せないものに対する営みでもあります。答え、結果はそこにはない。

映画の中盤に製薬会社の役員をACT UP-Parisのミーティングに呼ぶシーンがあります。ホイッスルやラッパの耳をつんざく鋭い音や、血液ボール(血糊を入れた水風船)を投げつける方法ではなく、討論を持ちかけます。しかし、そこでACT UP-Parisのメンバーたちは、役員たちに性急に「答え」を求める。やはり、彼らには答え、結果が必要だから。その討論の無残さは「耳を傾ける」の困難さをまざまざと示すかのようです。そして、その性急にならざるを得ないということ自体が、その焦燥が強く胸を打つ。

逆に、この映画の初めての討論シーンに映るACT UP-Parisの面々は、みなとてもいい顔をしています。討論とはこうあるべきと思わずにはいられない討論映画の良さが凝縮されている。それは、このまま延々と終わりまでこの場面が続けばいいと思うほど本当に素晴らしい。実は、延々と最後まで討論が続く映画がありました。時代も国も違いますが、『日本の夜と霧』(大島渚)です。私は『BPM』を見ている途中『日本の夜と霧』を思い起こしました。

『日本の夜と霧』は長回しのなか、役者がセリフを噛んでもお構いなしにそのまま演技を続けさせてしまうという実験的な手法で有名ですが(実際には撮影時間がなかったので強行したらしい)、『BPM』は素人からプロの俳優まで様々な人を呼び、長い時間カメラ(3台)を回していたそうです。完璧にセッティングされたなかでの撮影ではなく、不完全な状態でも撮影を決行し、徐々にその場の人々が自然になっていくのを捉えていたとのこと。そうして様々な種類の感情、ジェスチャー、言葉を編集の中でひとつの形にしていった。手法は真逆のように思えますが、『BPM』に満ちている熱量は、『日本の夜と霧』と同じようなものに感じます。

面白いのは、『日本の夜と霧』では議論、活動の対極にあるものが「ダンス」とされていたことです(あんなに過激に活動してたのに、今じゃ女と踊りを踊っているよ)。そして逆に『BPM』では討論、活動とともに「ダンス」が極めて重要な位置を占めていることです。

ビートを共有し身体を揺り動かすことと、あなたの声や鼓動に耳を傾けることが、ともに、同じように重要なこととして描かれる。

終盤に差し掛かったころ、仲間たちの心拍が止まり、またもう一人命を落とそうとしているなかで、パリの大通りを大勢で行進し、仰向けに寝転び、静かに夜空を見つめ抗議するシーンがあります。「忘れられた存在」の彼ら・彼女ら夜の人々が、自分とそしてあなたの息遣い、鼓動に寄り添う姿はとりわけ美しい。それぞれのリズム(声、鼓動)を感じ、そしてときに一緒に共同し大きなうねりを生み出す(ダンスする)ことを描くこの映画は、その悲しく美しい夜にブロンスキ・ビートの「スモールタウン・ボーイ」を響き渡らせ、さも当たり前のように彼ら、彼女らをダンスへと導くでしょう。

では、終わります。


脚本・監督:ロバン・カンピヨ(『パリ 20 区、僕たちのクラス』脚本・編集)、『イースタン・ボーイズ』監督)
出演:ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート、アルノー・ヴァロワ、アデル・エネル
© Céline Nieszawer
2017 年/フランス/フランス語/カラー/シネマスコープ/5.1ch/143分
映倫区分:R15+ 原題:120 battements par minute/英題:BPM (Beats Per Minute)
公式サイト:http://bpm-movie.jp/
(2018年3月24日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、ユーロスペース他にて全国ロードショーです!)

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Killer of Sheep

スラム街に暮らす黒人たちの暮らしを鮮やかに描き、望まれながらも長らく劇場公開されなかった、黒人監督チャールズ・バーネットによる幻の傑作。 1970年代中頃、ロサンゼルスにあるワッツ地区。黒人たちが住むそのスラム街で、スタンは妻と息子、娘の4人で暮らしている。スタンは羊などの屠処理の仕事をし、一家は裕福ではなくても、それほど貧しくはない生活を送っていた。しかし仕事に励むなかで、日に日にスタンの精神は暗く落ち込み、眠れない日を送るなかで妻への愛情を表すこともしなくなっていた。 子供たちが無邪気に遊びまわっている街は、一方で物騒な犯罪が起き、スタンの周りの知人友人にも小さなトラブルは絶えない。 そんななか、家の車が故障したため知人からエンジンを買おうと出掛けるスタン。しかしエンジンを手に入れたスタンは、その直後思わぬ事態に見舞われるのであった……。

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