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『トラスト・ミー』(ハル・ハートリー監督)レビュー!

ハル・ハートリー監督『トラスト・ミー』が、CS 洋画専門チャンネル ザ・シネマで「NYインディーズ界最後のイノセンス ハル・ハートリーの世界」と題して4月に放映されます。その後もハートリー監督作の『シンプルメン』と『Flirt/フラート』が放映されます。このたび試写会で未DVD化作品の傑作『トラスト・ミー』を見る機会をいただきましたので、ご紹介したいと思います。

                                                                           ©POSSIBLE FILMS, LLC

本作『トラスト・ミー』は一見すると恋愛ものや家族愛ものの映画にも思えますが、実際は、愛の存在や価値がそもそも前提にならない世界で、いかに愛の物語を語れるのか模索している映画です。

あらすじとしては、妊娠し退学処分となり家から追い出されてしまったマリアと、暴力的な父親と暮らすマシューとの恋愛物語と要約してしまうこともできるかもしれません。しかし本作は最初から、マリアが父親に平手打ちをしたら心臓発作で死んでしまうという突飛な展開をみせます。

またより重要なことに、マリアの母親はそんな娘を赦さず、死ぬまで自分の面倒をみさせることで復讐を果たすため、策略を冷徹にめぐらしてマシューとの結婚を阻止しようとしますし、マシューの父親も息子に風呂場の掃除を執拗に命じ続け、吸い殻を放置しようものなら息子の部屋のドアをぶち破って、吸い殻どころじゃないドアという巨大なゴミを生み出してまで問い詰めにくるような、あからさまに不合理な人物です。親子間の愛というものを端から前提にしておらず、その徹底ぶりがもはやコメディの領域に到達してしまうところが魅力的です。

                                                                           ©POSSIBLE FILMS, LLC

「愛は人にクレイジーなことをさせる。嫉妬させたり嘘をつかせたりする。自殺したり人を殺したり」。マリアが結婚を申し込んできたマシューにプロポーズの理由を尋ねると、マシューはこのように返答して、愛の代わりに「尊敬と称賛」を結婚の理由にあげています。マリアは「尊敬と称賛と信頼が愛と同じくらい価値のあるものだとあなたが思っているなら結婚する」と承諾。愛というものの存在すら信じられない世界で、二人はそれを原題でもある「信頼(trust)」に置き換えることで結婚に正当性をもたせようとしているのです。

しかし、「信頼」がすべてを解決するというわけでは全くないのが本作のミソ。マシューの父親もマリアの母親も、ともにある意味では子どもを完全に「信頼」しているからです。ふたりとも自分たちの今後の家計や生活をすべて子どもに頼ろうとしているのです。マシューをクビにした家電修理店の店長に、「俺の息子は天才なんだ」と言ってブチ切れながら詰め寄る父親の姿は、「実はいい父親」というわけではなく、むしろ息子を修理店に託した信託財産(trust)として扱っているようにも思えます。自分が苦労して育てたものが不良品であるわけないと。

              ©POSSIBLE FILMS, LLC

このようにかなり悲惨な状況を描きつつも、しかし同時にどこかコメディとしての余裕を残しているのは、おそらくこの「信頼」を、当人たちは意識していない全く別のところに見出せるからでしょう。本作の会話シーンはどこかノア・バームバック監督作品、特に『イカとクジラ』や『マーゴット・ウェディング』を彷彿とさせるものがあり、単に噛み合っていないというより、リズミカルな応酬にのって思いもよらない方向に進んでいってしまいます。人物が言葉を交互に継ぎ足してひとつの生き物のように会話が生成していきます。

それまでの会話の流れから外れるような、ふと口にした言葉でも、とにかく受け止めて返してもらえるというさまに、不意の「信頼」を見ることができるでしょう。たとえば、マリアの母親とマシューが、酒にどちらが強いかで対決するシーンは、マリアをめぐって敵対しているはずの二人にもかかわらず、どこか互いを信頼していて心のうちを言い合うことができているように見えます(むろん、母親のそれはマシューをだます演技にほかならないのかもしれないけれど)。会話はふたりによる、いわば共同作業なのです。

                                                                              ©POSSIBLE FILMS, LLC

「何をするかではなく、何かを一緒にすること自体が重要である」。結末で結ばれるふたりがスラップスティック的なドタバタ展開のなかでユーモアに富んだ会話を激しく交わす、主に1930年代のスクリューボールコメディについて、かつてこう言われたことがあります[1]。マリアとマシューも最後にとんでもないことを結果的に一緒にすることになりますが(何をするのかは実際に見て確かめてください)、恋愛映画の甘美で永続するようなラストからは程遠く、体を張ったスラップスティック・コメディを彷彿とさせるこの「共同作業」の果てに、ふたりは恋愛成就のクリシェであろうベッドの上ではありえない向きで横になり、寄り添いあうことになります。もはやふたりに時間は残されていませんが、愛の存在を前提にしないラブ・ストーリーがたどり着いた到達点である、この束の間でいびつな、しかし愛とよぶほかないものがふたりの間に生まれる瞬間は必見です。

[1] 詳しくはStanley Cavell著、Pursuits of Happiness : The Hollywood Comedy of Remarriageの113頁(Bringing Up Babyの章)をご覧ください。

■監督・脚本・製作 ハル・ハートリー

■出演 エイドリアン・シェリー、マーティン・ドノヴァン、イーディ・ファルコ

カレン・サイラス ほか

アメリカ=イギリス/1990年/カラー/108分

CS 洋画専門チャンネル ザ・シネマ:http://www.thecinema.jp/

Twitterアカウント@PossibleFilmsJPにてハル・ハートリー関連情報を配信中。


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Killer of Sheep

スラム街に暮らす黒人たちの暮らしを鮮やかに描き、望まれながらも長らく劇場公開されなかった、黒人監督チャールズ・バーネットによる幻の傑作。 1970年代中頃、ロサンゼルスにあるワッツ地区。黒人たちが住むそのスラム街で、スタンは妻と息子、娘の4人で暮らしている。スタンは羊などの屠処理の仕事をし、一家は裕福ではなくても、それほど貧しくはない生活を送っていた。しかし仕事に励むなかで、日に日にスタンの精神は暗く落ち込み、眠れない日を送るなかで妻への愛情を表すこともしなくなっていた。 子供たちが無邪気に遊びまわっている街は、一方で物騒な犯罪が起き、スタンの周りの知人友人にも小さなトラブルは絶えない。 そんななか、家の車が故障したため知人からエンジンを買おうと出掛けるスタン。しかしエンジンを手に入れたスタンは、その直後思わぬ事態に見舞われるのであった……。

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