Gucchi's Free School

日本未公開・未発売の映画DVDを紹介する情報サイト

Gucchi's Free School > イベント > イベント > ゲスト大石盛寛さん『サポート・ザ・ガールズ』上映後トーク採録@シモキタ-エキマエ-シネマK2

ゲスト大石盛寛さん『サポート・ザ・ガールズ』上映後トーク採録@シモキタ-エキマエ-シネマK2

10月7日、シモキタ-エキマエ-シネマK2にて、大石盛寛さんをお呼して行われた『サポート・ザ・ガールズ』のアフタートークの模様を掲載いたします。

***

降矢)本日は『サポート・ザ・ガールズ』の初日の上映にお越しいただきまして、ありがとうございます。本作を配給しております、グッチーズ・フリースクールの降矢と申します。今日は字幕翻訳家で、本作の監督アンドリュー・ブジャルスキーにも大変お詳しい大石盛寛さんをお呼びしてトークしたいと思います。よろしくお願いいたします。

大石)字幕翻訳家の大石盛寛です。よろしくお願いいたします。

降矢)まずは大石さんに自己紹介をお願いしたいと思います。

大石)グッチーズさんの作品をいつくか、字幕翻訳しております。そして、僕は元々こういった低予算映画、特に本作監督のアンドリュー・ブジャルスキーに関してここ15年ほどずっと追いかけておりまして。

降矢)そんな人が日本にいたんですね(笑)。

大石)日本に何人いるだろうって感じではありますが(笑)、ずっと追いかけてまして。なかなか日本でアンドリュー・ブジャルスキーの作品を見る機会がなく、今まで唯一日本で公開されたのが『成果』という作品で、Netflixの配信のみだったんです(2022年10月末現在は配信終了)。だから、初めてこうやってブジャルスキーの映画が、正式に日本で劇場公開されることの意義がものすごい大きいと思い、グッチーズさんに感謝しています。

降矢)ありがとうございます!

大石)そして今回ブジャルスキーと諸々についてですね。

降矢)楽しくお話しできればと思います。早速なんですが、まずは、本作の感想やどんなことを思われたかお話を伺えればと思います。

マンブルコアのはじまり

大石)お気づきの方いらっしゃるかどうか分からないのですが、駐車場で車から降りるシーン、車から降りる前と降りた後音声が一瞬ぶちっと切り替わるんです。車の中の音声と車のから出たフリーウェイの喧騒が広がる音って、普通だったら映画的に聴きやすいように統一するはずなんです。必ず会話の音声バランスを取るはずなのに、それを取っていない。突然ぶちっと切れるやり方をしています。ブジャルスキーは周りの環境や市井の人たち、普通の人たちを普通に描くっていうことに焦点を当てている。それがデビュー作から今でも変わっていないところがすごく象徴的。あと、ドラマに関しては今回やっと「意味のあるドラマ」目的性とか、今回でいえば職場の話とか、ハラスメントの話とかっていうのを含めた上ですごく映画的になったなっていうのは思いました。

降矢)なるほど。ということは今までのブジャルスキー作品はあまりドラマもなく意味のあるお話にはなっていないってことでしょうか。

大石)意味がないというのはちょっと語弊があるんですが、基本的に会話劇で、且つ今作と同じように、半径5メートルぐらいで、主要な登場人物が、大体3・4人ぐらいでずっとダラダラしゃべっている。で、そのダラダラしゃべっているのも何を言ってるか、わからないような録音状況でしゃべっているっていうのがブジャルスキーの特徴だったんですね。ブジャルスキーがマンブルコアの元祖、マンブルコアのゴットファーザーとも呼ばれているのがその由来ですね。

降矢)マンブルコアをあまりご存じない方ももしかしたらいらっしゃるかと思うので、そもそもマンブルコアとはどういったものなのかをお聞きできればと思います。

大石)ブジャルスキーはですね、ハーバード大卒の、ぶっちゃけ秀才な方、インテリだったんですが、2002年にデビュー作『Funny Ha Ha』という映画を撮ります。制作費が恐らく100万円程度。この映画で象徴的なのが、主人公がマーニーっていう23歳の女性なんですが、特に夢も目標もなく、なんとなく日々生きていて、恋愛したりとかちょっと男に手を出しちゃったりとか、他の人に好きになられたりとかね。ここで、すごく注目したいのは、何を言っているかわからない会話が多いんです。なぜかと言うと、録音状態が悪いからです。それは意図的であり、且つその現場の雰囲気を、要するに普通の会話って何を言っているかわからないけど、こんなこと言っているよねっていうのを反応で返しているみたいなことを演出に取り入れた。それがある意味マンブルコアの始まりと言える。ただ、『Funny Ha Ha』は実は2002年に制作されたんですが正式な公開が2005年。それまで約2年半から3年ほど配給会社がつかなかったんですね。

降矢)誰かに頼まれたわけではなく、完全に自主で撮っていたんですよね。

大石)そうです。その時に『Funny Ha Ha』の音響技師が「この映画ってすごく音声がマンブル(マンブルってモゴモゴっていう意味なんですけど)、していて何言ってるかわからないんだよね」って。マンブル=もごもごが、中心=コアな映画っていう。それが恐らくマンブルコアの起源です。

降矢)スタッフの人が言ったんですか? 自分で録ったくせに(笑)

大石)その通りです。

ブジャルスキーの音とエンディング

大石)そうしてマンブルコアというムーブメントというか映画の潮流が、2005年あたりから始まりました。その後ここでいろんな方たちが出てきまして、おそらく一番有名なのが、『フランシス・ハ』で主演したグレタ・ガーウィグ。そしてグッチーズさんが配給した『タイニー・ファニチャー』のレナ・ダナムだったりするんですね。レナ・ダナムに関しては、実は10代の頃、自分が短編映画を撮っている時に、「どうやって映画を撮ったらいいか」っていうのをよりによってブジャルスキーに聞いたみたいです(笑)。しかもレナ・ダナムは『Funny Ha Ha』の10周年記念、2015年に行われたイベントの時に「私、この映画がすごく好きで、何回も見たんだけど、エンディングで何を言っているかわからないから11回見直した」って言っているんです。そのぐらいわからないですね。

降矢)ネイティブでもわからないんですね。

大石)おっしゃる通りです。Blu-rayに英語字幕が付いてないんでどんなリスニング力があってもきついです(笑)。ネイティブが聞き取れないほどの映画を撮ったっていうのが始まりでマンブルコアの元祖っていう風になってます。

降矢)技術的に録れないっていうのは全然理解可能なんですけど、あえて自然に、まさに現実世界がそうだから、というような形でやってるっていう。『サポート・ザ・ガールズ』は技術的にも進歩していると思いますし、いわゆるマンブルコアっていうものとは違いますけど、映画的にキレイにしない感じは『サポート・ザ・ガールズ』にもあるな、と今お話を聞きながら思いました。

大石)『サポート・ザ・ガールズ』では、主要な登場人物が3人。リサと働いている2、3人で、店長がいたりオーナーがいたりはするんですけど、基本的には、あの3人に集約されるドラマです。且つ、エンディングでハイウェイの音が流れながら、音楽が流れるんですね。そこが周りの音、普通の人たちがまるでラジオを聞いているように、エンディングを締めくくる。そして突然「キャー」って叫んでいる時にぶちって終わる。これは、実は『Funny Ha Ha』から変わらないです。『Funny Ha Ha』も、男女の会話で「えー私たちそうだよね、うん」で突然ぶちって終わるんです。そのぶちっていう終わり方が、僕らの日常なんです。日常って突然会話が終わって、「はい。これで今日帰ろう。じゃあねバイバイ、また明日」それなんですよ。それがすごく反映されているのが、ブジャルスキー作品かなと思います。

降矢)『サポート・ザ・ガールズ』のあの終わり方が、まさにブジャルスキー作品ってことですね。あと最後、屋上で耳を澄ませて車の音とかも聞いて、この音が好きなんだという話をしますよね。突然のエンディングと音への感受性っていうブジャルスキーの特徴が詰まっているシーンですね。

大石)環境音にプラスして、会話が加わるので余計に分からないんですよね。

降矢)最初、ハイウェイの音もちょっと大きいですよね、みたいな話もちょっとしていたんですけど。

大石)皆さん思われたと思うんですけど、明らかにこの映画、ハイウェイの音が大きいんですよ、会話の音よりも。会話の音を隠すぐらい、たまにハイウェイの音が大きくて、もちろんハイウェイ沿いにあるスポーツバーなんですけど、どう考えても普通の映画では考えられないような音声バランスなんです。

降矢)僕は字幕の作業とかも自分でやることがあるんですけど、配給元から音声データとか映像データをもらうんですよ。それで、パソコンとかを使いながらやってるんですけど、そうすると音声の波形とかが出るわけですよね、パソコン上に。そうすると確かに何かぶっ壊れてるんじゃないかってほど最初ハイウェイのところが大きくて。だからこれが狙いですよね。

大石)ブジャルスキーのやり方でしょうね。本人に何でこうしたの?とは誰も聞かない(笑)。

降矢)これ大丈夫なのかなと。劇場さんにバランスおかしいですよって言われないかなとさえ思いました(笑)

ブジャルスキーの諸作と派生するマンブルコア

大石)それが引き継がれたりしてるのが2作目の『Mutual Appreciation』(共通の感謝)っていう作品で、ある売れないバンドマンを描いた作品。そして、3作目の『Beeswax』っていうドラマがあります。こちら、ブジャルスキーの監督3作品目なんですが、『Beeswax』は蜜蜂が蜜を作る蜜の蝋みたいなものも意味するんですが”仕事“っていう意味もあるんですね。仕事とか関係っていう意味があって、『Beeswax』はある姉妹と1人の男の関係を描いています。だからそういう意味では本当にミニマルなんです。それがいわゆるマンブルコア、且つデビュー作『Funny Ha Ha』からの三部作と、(『サポート・ザ・ガールズ』はデジタルですけど)4作目の『Computer Chess』までは基本的に16ミリフィルム。さらに、4作目の『Computer Chess』という作品では、アナログのビデオで白黒撮影してます。何のこだわりなんだっていう(笑)。監督本人も実は16ミリフィルムが好きらしいです。35じゃなくて16だっていう。

降矢)こだわりがあるんですね。

大石)そうですね。マンブルコアおよびマンブルコアっていうブームから派生した、マンブルゴアっていうホラー映画があり、その潮流の中でもブジャルスキーが元祖と言われ、ずっと独自の路線を走っており、3年から4年に1本しか撮らないのは恐らく、そのこだわりの強さもあるかもしれないです。

降矢)いわゆるマンブルコアからメジャーに行ったり、いっぱい撮ってる監督も中にはいるんだけれども、ブジャルスキーはずっと日の目を見ないというか。

大石)なかなか世界的に有名にならず、アメリカでもすごくマニア、コアな、ぶっちゃけアート系映画の扱いにはなっちゃっています。『サポート・ザ・ガールズ』はだいぶ広まったんですけど、それまでは、映画館の館数もアメリカの何千とある映画館の中で、10館ぐらいしかやっていなかった。

降矢)マンブルコアからブジャルスキーはなかなか日の目を見なかったんですけど、そこからばっと出た監督とか、色々繋がりを紹介していただけたら嬉しいかなと。

大石)ちょっと話が変わるんですが、マンブルコアから派生したホラー映画の潮流に「マンブルゴア」というものがあります。ゴアって残酷描写っていう意味ですね。そもそもマンブルコアもメディアが作った呼び名なんで、別に監督や製作者たちが決めた訳じゃないですが。そのマンブルゴアから生まれた1本が、今年上映された『X エックス』ていうホラー映画を撮ったタイ・ウェスト監督第3作の『The House of the Devil』。2009年の映画で、製作費がおよそ1億円ぐらい掛かってる映画なんですが、当時、1億円のうち興行収入は1千万円程度でコケてます。

降矢)大コケじゃないですか。

大石)なんですが、2009年に公開されて、その10年後の2019年には10周年記念上映が行われるほどの人気作になりました。そしてDVDやBlu-rayがバカ売れしたんです。それでこの映画は有名になりました。それで、タイ・ウェストは今や有名監督になってます。

降矢)再ブレイクというか、再評価されるきっかけみたいなものがあったんですか?

大石)元々『The House of the Devil』に関しては、(持参したBlu-rayを掲げて)これイギリス版のBlu-rayなんですけど、「今年最高のホラー映画」っていう売りをしてるんですね。そのくらい評価が高かったんです。

降矢)出来としてはそもそもいい出来だった?

大石)すごいいい出来でした。オープニングから80年代ホラーを、そのまま80年代を舞台に2009年に撮った映画。しかも16ミリっていう、すごいこだわりなんですね。そこでこの映画で脇役を演じてるのが、グレタ・ガーウィグなんです。お友達の友達はみんな友達っていう感じで。そこでさらにマンブルゴアという、ホラー映画の潮流で出てくるのが、『ビューティフル・ダイ』という作品を撮ったアダム・ウィンガードという監督です。アダム・ウィンガードはこの後、Netflix版の『Death Note/デスノート』の映画版だったり、最終的に昨年公開された『ゴジラvsコング』で製作費200億円までたどり着きました。ただしこの時『ビューティフル・ダイ』、これ邦題が『ビューティフル・ダイ』っていうんですけど、実は原題は『A Horrible Way to Die』=ひどい死に方っていう意味ですね。何で邦題が『美しい死に方』なのか、僕も知りません(笑)。

降矢)まあまあまあまあ。邦題については配給側からコメントしづらいですが(笑)。

大石)これがちょっと話題になった後に、アダム・ウィンガードは『サプライズ』という映画を撮ります。『You’re Next』=次はお前だ、っていう原題のホラー映画なんですが、こちらが製作費約1億円、100万ドルで作られました。当時アメリカで公開された時に、100万ドルの映画が3000万ドル、約30倍稼ぎました。この映画で更に注目したいのは、ただホラー映画を撮っただけじゃなくて、マンブルコア、マンブルゴア、その監督やそこから生まれた俳優陣とかを総動員している点です。それにこの映画に『The House of the Devil』や『X エックス』を撮った、タイ・ウェスト監督も出演してるんです。

降矢)仲間たちみんな集合みたいな。

大石)そうですね。同窓会映画みたいになっています。『サプライズ』は2011年の映画なんですけど、その時はまだそういう風に言われてなかったんですね。後になってこれ実はマンブルコア同級生映画じゃん、っていう流れになったんです。

マンブルコアの起源

大石)じゃあマンブルコアという映画が、そもそもその起源、元がどういう風なものなのか。

降矢)マンブルコアが急にぽっと出てきたわけではなくて、インディペンデント映画の中でも流れがあるってことですね。

大石)その通りです。まずそこであるのが、例えばフランスのヌーヴェルヴァーグ、ゴダールだったりトリュフォーだったり。あとはそこに、アメリカのネオ・リアリズムっていう『キラー・オブ・シープ』のチャールズ・バーネットがいます。作品名ばかりで申し訳ないですが、とにかく色んなインディペンデント映画の潮流があって、そこでその中の超有名な1本は、恐らくウディ・アレンの『マンハッタン』ですね。白黒撮影、人物は多いけど基本的にずっと喋り続ける。その同時期に撮られた、クローディア・ウェイルの『ガールフレンド』って映画ご存じの方いらっしゃいますか?

(会場で観客の手が挙がる)

大石)ありがとうございます。嬉しいです。こちらアメリカ映画史で本当に隠れた傑作と言われているインディペンデント映画で、製作に約3年かかっています。当初短編として撮られてたんですが、そこから長編の予算を得るまでに、3年かかったんです。それで継ぎ足しで撮影して、実質の撮影期間は6週間だか、7週間だったんですが、完成までに3年かかっている。この映画は日本でも当時劇場公開されて、且つVHSも出てますし、何年か前にTSUTAYAの名作ライブラリーでDVDも出てんですが、日本では今でも全く評価されてません。ただ海外では、クライテリオンっていう世界一のBlu-rayレーベルの1つが出すぐらいの名作になって、且つ今はアメリカ国立フィルム登録簿、ナショナル・フィルム・レジストリに登録されました。その流れを汲んだ上で、そこからさらに生まれたのが『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』の、リチャード・リンクレイター監督のデビュー作『スラッカー』です。『スラッカー』がほぼマンブルコアの本当の起源と言える作品となります。この作品は、100人以上の登場人物たちがひたすら喋り続けて、どんどんストーリーが展開するけど、そこに意味はないという映画です。

降矢)人物から人物にスイッチしていくように、でもそのスイッチする繋がりとかは希薄で、喋っている人物を数珠つなぎにずっと追っていくっていう。奇妙な映画ですよね。

大石)本当に奇妙な映画なんですが、これがあったからこそ、今のマンブルコアだったり、技術的に16ミリフィルムで撮影するとか、インディペンデント映画の潮流ができたっていう風に言える。この映画に影響を受けて作られたっていう、明確な1本がケヴィン・スミスの『クラークス』です。『クラークス』は『スラッカー』を観たケヴィン・スミス監督が、「これなら俺も作れる」って、はっきり宣言したんです(笑)。

降矢)自分も作ってみたいと思わせる良さがありますよね。

大石)『クラークス』は『スラッカー』を観たケヴィン・スミスが影響を受けて、自分のアメコミのコレクションとかを売り払い、クレジットカードの限度額までお金借りまくって、300万円ぐらいで撮って大成功したと。こういう潮流があった流れで、マンブルコアっていうのが今ここまで辿り着いているのかなって言える風ではあります。

降矢)今回のブジャルスキーとか、あるいはマンブルコアの代表的な監督が、直接『クラークス』の影響を受けたとか、『スラッカー』に影響を受けたっていうことは、あんまり喋られてはないんですかね?

大石)そこが面白いのが、ブジャルスキー関してなんですが、ブジャルスキーが影響を受けた者として、明確に言ってるのはジョン・カサヴェテスなんですね。特に『ラヴ・ストリームス』が好きだっていうことを明言してます。あと、この人がこんな映画好きなんだって思えるのがちょっと不思議なんですが、ブジャルスキーが好きな映画が『ロッキー』なんです。なんで『ロッキー』って思うんですが、『サポート・ザ・ガールズ』はテキサスが舞台なんですが、基本的にブジャルスキーの作品って、ボストンが舞台だったんですね。ボストンらしさもあって、且つ『ロッキー』は自分たちにとってトリュフォーの『大人は判ってくれない』のアメリカ版だと発言しています。

降矢)独特な見方ですね!? でもトリュフォーやヌーヴェルヴァーグを意識していることはわかる発言ですね。

大石)独特な見方なんですよ。アントワーヌ・ドワネルはロッキーだって言ってるんですよ。シリーズだっていうことで。そこで、もし実現できるならブジャルスキーは、スタローンと一緒に仕事がしたいっていうのをインタビュー明言してるんです。

降矢)それは意外です(笑)。

大石)特に『サポート・ザ・ガールズ』は基本的には、プロの俳優さんたちが演じられているんですが、マンブルコアの映画の特徴として、ほぼ演技未経験だったり、友達を出すっていうのが重要なポイントです。例えばデビュー作『Funny Ha Ha』っていう映画の主人公は、ハーバード大学で同じ映画とかを学んでいて、かつルームメイトだった女性のケイト・ドールマイヤーという方を主演に起用してるんですが、その方、今はアメリカのアカデミー協会で映画のレストア、古い映画のレストア作業の研究員になってます。全然女優じゃなくなった。なので、他の映画のブジャルスキー作品もそうなんですが、基本的にプロを使わない。マンブルコアのルールっていうわけじゃないですけど、マンブルコアの潮流だったのが、プロを使わない、音声はもごもごしてる、16ミリ撮影やデジタル、35ミリではない、35ミリだとプロなので。あとは照明も自然光とか、そういうちょっとしたルールではないんですが、誰かが決めたわけではないけど、これだったら低予算で僕らも映画が作れるよねっていう流れが出来ています。

降矢)『スラッカー』は街でたむろしている人たちに声をかけて、「明日何時に撮影するんだけど撮らしてくれない?」みたいな感じで進めていったらしいんですけど。だから、素人俳優を使うとか友達を使うっていうのは、あるといえばあるかなとは思うんですけど、マンブルコアは本当にずっとそれをやってるというか。ブジャルスキーは、そのテンションでずっと続けているなという感じを受けるんですよね。

大石)あまり変わらないというのが、例えばマンブルコアって言われるムーブメントの中で、潮流の中で生まれた監督にジョー・スワンバーグっていう監督もいらっしゃるんですが、彼は約20年前、ブジャルスキーと同じ頃にデビューして、この20年間でテレビシリーズも含めて約40本も手掛けている。でもブジャルスキーは、この20年間で長編短編も含めて10本で、今度11本目が新作公開されるんですが、ある意味ペースを保っている。それに比べてジョー・スワンバーグや別の監督は、1年に下手すると2~3本進んでいるです。そういうペースで撮ったりする人もいれば、ブジャルスキーみたいに、ある意味我が道を行く監督もいる。そういうことで、マンブルコアっていうのが定義されちゃったけど、でも本人たちが決めたわけではなくて、メディアがマンブルコアっていうムーブメントがあるよ、っていうのを2005年以降に始めたっていうのが大体言われている。

降矢)お話を聞いていて面白いなと思うのが、リンクレーターとか『クラークス』を撮ったケヴィン・スミスとかは、固有名として、リンクレーター監督作、ケヴィン・スミス監督作っていう形で売れていくとか、出てきたと思うんですよ。でもマンブルコアの人たちって、例えばジョー・スワンバーグ作!みたいな感じで推し出さない。出してもらえないのか分かんないですけど、なんかその感じも、固有名でバーンといかず、職人的に徹しているっていう感じが、他のインディペンデント映画の監督たちとはちょっと違う特徴、色になってるかなっていう。

大石)そうですね、この監督だから見るって出来ていないっていうのが現状ですね。それはマンブルコア映画で興業的に成功した映画が何本あるかなっていうことと、関係しているかもしれないですね。

降矢)あんまりないってことなんですよね。興業的に成功は。

大石)それはグッチーズさんが出された『USムービー・ホットサンド』の中に、『タイニー・ファニチャー』プロデューサーのカイルさんのインタビューがあって、そこでムーブメントとも言えるのかもしれないけど、基本的には仲間が集まって作っただけだと語られていますね。マンブルコアは現実的な問題や、自分たちの生活に沿ったものを描いているだけであって、それ以上の発展はないんだと。そこにおいてマンブルコアっていうのが興業的に成功したかって言われると、ちょっとそれは違う。あと、マンブルゴア、ホラー映画の人たちのほうが、ホラーっていうのを売りやすいんですね。ホラーは配給会社の買いやすい人を殺す、人が死ぬ、血まみれになるとかっていう、ジャンルとして売りやすいからこそアダム・ウィンガードやタイ・ウェストだけが一気に出ていったというのが、流れの一つではありますね。

現在のマンブルコア

降矢)メディアが勝手に名付けたマンブルコアという一群の映画があって、一つの潮流になりましたが、果たして今もマンブルコアは続いているのか、終わっているのでしょうか?

大石)2015年にIndieWireっていうWebマガジンが「もうマンブルコアという呼び方はやめないか?」っていう記事を出したんですね。これはブジャルスキーの『成果』っていう作品、Netflixでも配信されてる作品が(2022年10月末現在は配信終了)出た時に、もうマンブルコアやめない?っていうのを言い始めたんですね。もうその時点で、ほぼもう2002年に『Funny Ha Ha』という元祖が作られ、10年経っている。且つ、大体2009年から2010年あたりで、流れ的に終わってるっていう風に見られてるんですね。でも、そこからマンブルコアっていうのが周知され始めた。ブジャルスキーがメインストリーム的な映画を撮り始めたことによって、もっと映画が進化したからこそマンブルコアは終わっているっていうのは言えるかもしれません。ただし、ブジャルスキーいわく、「僕が死んだときお墓に書かれるのは”マンブルコアのゴッドファーザー“」っていうのは自分で言ってました(笑)。それは自分で自覚しているみたいです。オチとしては、マンブルコアは今でも続いている、要するに低予算映画の潮流というのは、今でも続いているんですが、誰かが定義したものでもない。これがマンブルコアです、これもマンブルゴアです、って言っちゃえばそれで終わりです。別に誰が決めている訳でもないですね。ただそういう流れがあったよっていう、ちょっと過去の話でもあり、『Funny Ha Ha』っていう1作目から始まったヒロイン像、20代のヒロインがふらふらとしている人生を生きているっていう流れが、つい2ヶ月くらい前に、ある映画評論家が書いていたんですけど、『Funny Ha Ha』から20年経って、アメリカ映画とかで描かれる女性像を振り返ると、そのベースは『Funny Ha Ha』だって。

降矢)それはすごいいい話ですね。

大石)『サポート・ザ・ガールズ』でもそうなんですけど、スポーツバー以外の生活は描かれないんですよ。スポーツバー以外で主人公たちが何をしているかわかんないですよ。でもそれでいいんですよ。なぜかって言うと職場だから。だけど本人たちは、あそこしか行き場がないかもしれない。そういう20代~30代とかのふらっと、ふわふわっとした感じ夢や目的がなかなか達成されないから、そこに居続ける感じです。

降矢)映画的な誇張とか飾りを、今まではずっと付けさせられてきたけど、そんなことじゃないってことですよね。

大石)あんまり誇張しないっていうのが、ブジャルスキーの特徴かもしれませんね。今回の映画に関しても僕らと一緒なんです。僕らと同じ目線で描かれてて、同じように車に乗って通勤して仕事をして、家に帰ってっていうのが1日だっていう。それを描いているのがすごくブジャルスキー的であって、そこがまだずっと変わってない、っていうのがこの映画でも言えることかなとも思いますね。

降矢)ありがとうございます。あっという間にお時間が来てしまいました。皆さんの感想とか口コミみたいなものが、こういう小さい映画には命と言っても過言ではないので、よろしければ見ていただいて何か感じるところがあれば、厳しい意見ももちろんいいですけれどもSNSや周りのお友達に広めていただければとても嬉しいです。

大石)ぜひブジャルスキーを広めてください。よろしくお願いします。本当に知られてないので。

降矢)(笑)。

降矢・大石)今日は本当にどうもありがとうございました。

***

大石盛寛(おおいし・もりひろ)
通称「日本字幕翻訳界のマッド・サイエンティスト」「日本で最も映画バカな字幕翻訳家」。ジャンル映画をメインに翻訳する機会が多く、付随する特典映像やコメンタリーも担当。ただし名前がクレジットされない作品が多いため、あまり目立たず活動中。海外の自主映画(主にゴア・ホラー系)に投資して“名ばかりプロデューサー”業も時々。加えて小学生の頃から大好きなUKロックバンド/オアシスを長年研究しています。
https://twitter.com/M_O_Fischer

COMMENTS

コメントをどうぞ

内容に問題なければ、下記の「送信する」ボタンを押してください。

MAIN ARTICLE

Killer of Sheep

スラム街に暮らす黒人たちの暮らしを鮮やかに描き、望まれながらも長らく劇場公開されなかった、黒人監督チャールズ・バーネットによる幻の傑作。 1970年代中頃、ロサンゼルスにあるワッツ地区。黒人たちが住むそのスラム街で、スタンは妻と息子、娘の4人で暮らしている。スタンは羊などの屠処理の仕事をし、一家は裕福ではなくても、それほど貧しくはない生活を送っていた。しかし仕事に励むなかで、日に日にスタンの精神は暗く落ち込み、眠れない日を送るなかで妻への愛情を表すこともしなくなっていた。 子供たちが無邪気に遊びまわっている街は、一方で物騒な犯罪が起き、スタンの周りの知人友人にも小さなトラブルは絶えない。 そんななか、家の車が故障したため知人からエンジンを買おうと出掛けるスタン。しかしエンジンを手に入れたスタンは、その直後思わぬ事態に見舞われるのであった……。

EVENTS

DIARY

REVIEWS

PUBLISHING